この項目では、ミュージシャンについて説明しています。アルバムについては「レオン・ラッセル (アルバム)」をご覧ください。
レオン・ラッセル
Leon Russell
レオン・ラッセル(2009年)
基本情報
出生名Claude Russell Bridges
生誕 (1942-04-02) 1942年4月2日
アメリカ合衆国オクラホマ州ロートン
死没 (2016-11-13) 2016年11月13日(74歳没)
アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビル
ジャンルブルース、ゴスペル、カントリー、ブルーグラス、ロック、スワンプ・ロック、リズム・アンド・ブルース
職業ミュージシャン、ソングライター
担当楽器ボーカル、ピアノ、ハモンドB-3オルガン、ギター、ベースギター
活動期間1956年 - 2016年
公式サイト ⇒www.leonrussellrecords.com
レオン・ラッセル(Leon Russell、1942年4月2日 - 2016年11月13日[1])は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、キーボーディスト、ギタリスト。
セッション活動を経て、1960年代末からソロ活動を開始。ルーツ・ミュージックの色濃い”earthy”[2]な音楽が評価され、『スワンプ・ロック』を代表するミュージシャンの一人になった。「ソング・フォー・ユー」、「タイト・ロープ」、「スーパースター」、「マスカレード」など、多くの作品が幅広くカヴァーされた。
デラニー&ボニー[3]、ジョージ・ハリスン、ローリング・ストーンズ、ジョー・コッカー、アル・クーパー、ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ、ザ・ベンチャーズ、リタ・クーリッジなど、多くのミュージシャンやバンドと共演した。 オクラホマ州出身。本名はClaude Russell Bridges(クロード・ラッセル・ブリッジズ)。十代前半からキーボーディストとしてナイト・クラブなどで音楽活動を始め、J・J・ケイルと「スターライターズ」[4]、同郷のデヴィッド・ゲイツ[5]と「ジ・アクセンツ」、デラニー・ブラムレットと「シン・ドッグズ」を結成した。 やがてジェリー・リー・ルイス、ローリング・ストーンズら多くのアーティスト、フィル・スペクターのプロデュース作品のレコーディングに参加した。代表例としてはゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズの「恋のダイアモンド・リング」[6]があげられる。彼はアル・クーパーらが共作した同曲の編曲を担当し、ハル・ブレイン(ドラムス)、ジョー・オズボーン(ベース)とともにレコーディングに参加してキーボードを演奏した。他にはザ・ベンチャーズの「10番街の殺人」と「朝日のあたる家」がある[7]。 1968年、マーク・ベノとの共作アルバム『ルック・インサイド・ジ・アサイラム・クワイア』を発表。1969年、デラニー&ボニー・アンド・フレンズに「グルーピー(スーパースター)」[8]、ジョー・コッカ―に「デルタ・レディ」を提供。1970年、コッカ―のアメリカ・ツアーのプロデューサーを担い、リタ・クーリッジら約40人ほどのメンバーを集めて共にコッカ―のバックを務め、3月末のフィルモア・イーストでのコンサートの模様をコッカー名義のライブ・アルバム『マッド・ドッグス&イングリッシュメン』にまとめた。同年、デニー・コーデル
略歴
彼の音楽はロサンゼルスを中心に活動していたアメリカ南部出身のミュージシャンに取り上げられて隆盛を極め、「スワンプ・ロック」という呼称が与えられた。彼はデラニー&ボニーやクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルらと共にスワンプ・ロックの代表格になり[9]、代表曲「ア・ソング・フォー・ユー」[10](1970年)はカーペンターズ、レイ・チャールズほか、「マスカレード」(1972年)はヘレン・レディ、カーペンターズ、ジョージ・ベンソンほか、「ブルー・バード」(1975年)はヘレン・レディ、といった具合に数多くのミュージシャンやバンドにカヴァ―された。前述の「グルーピー(スーパースター)」(デラニー&ボニー・アンド・フレンズ)や「デルタ・レディ」(ジョー・コッカ―)もカヴァ―され、著名な作曲家としての彼の名声を高めた。
1971年8月、ジョージ・ハリスンの呼びかけに応じて『バングラデシュ難民救済コンサート』に出演し、ピアノ、ボーカル、ベースを担当してハリスン、エリック・クラプトン、リンゴ・スター、ボブ・ディランらと共演した。同年、スライ・ストーンのバック・コーラスを担当したアフロアメリカンのマリーと結婚した。
1973年、日本公演で初来日。11月8日に日本武道館で開かれた東京公演の音源が1975年に『ライヴ・イン・ジャパン』として発表された[11]。
1979年には、ウィリー・ネルソンと「ハートブレイク・ホテル」のカントリー・バージョンを発表し、カントリー・チャート1位を獲得した。
2010年、かねてより自分を敬愛していたエルトン・ジョンとのコラボレーション・アルバム『ザ・ユニオン』を発表[12]。2011年に、ロックの殿堂の「レコーディング・エクセレンス」(旧「サイドマン部門」)に選ばれる[4]。