この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年3月)
レオナルド・フィボナッチ
肖像画(作者不詳)
生誕1170年から1175年ごろ
ピサ共和国 ピサ[1]
死没1240年から1250年ごろ
ピサ共和国 ピサ周辺
国籍イタリア人
職業数学者
著名な実績
『算盤の書』を著し、インド・アラビア数学をヨーロッパに紹介した
フィボナッチ数列
親グリエルモ・ボナッチ
テンプレートを表示
ドゥオモ広場にあるフィボナッチの像
レオナルド=フィボナッチ(Leonardo Fibonacci, Leonardo Pisano, 1170年頃 - 1250年頃)は、中世で最も才能があったと評価されるイタリアの数学者である[2]。本名はレオナルド・ダ・ピサ(ピサのレオナルド)という。フィボナッチは「ボナッチの息子」を意味する愛称だが、19世紀の数学史家リブリが誤って作った名前でもある。
フィボナッチは、近代では主に次の業績で知られている[3]。 レオナルドはイタリアのピサで商人の子として生まれた[5]。父親のグリエルモ (Guglielmo) はイタリア語で「単純」という意味のBonaccioというニックネームを持っていた。母親のアレッサンドラ(Alessandra)はレオナルドが9歳の時に亡くなっていた。レオナルドは、「Bonaccioの息子 (filius Bonacci)」という意味のFibonacciという諡を贈られた[注釈 1]。 グリエルモは貿易商人の職を求めてムワッヒド朝(現:アルジェリア)のベジャイアに移住した。まだ少年だったレオナルドも父親を助けるために現地に赴き、そこでアラビア数学を学んだ。 レオナルドはアラビア数字の体系がローマ数字よりも単純でより効率的なことに気づき、当時のアラブの数学者の下で学ぶため、エジプト、シリア、ギリシア等を旅行した。1200年頃には帰国し、32歳になった1202年に、彼は自身の学んだことを「算盤の書 (Liber Abaci)」にまとめ、ヨーロッパで出版した。 レオナルドは、科学と数学を好んだ神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に気に入られ、しばしば宮殿に呼ばれた。1240年にはピサ共和国から表彰され、給料が贈られるようになった[注釈 2]。死去した年ははっきりとは分かっていないが、1240年から1250年ごろにかけて、ピサ市の近くにて亡くなったと考えられている。 19世紀には、ピサにフィボナッチの像が完成した。今日でも、世界遺産となっているピサのドゥオモ広場の西ギャラリーで見ることができる[9]。 1202年に出版された『算盤の書』の中で、フィボナッチは「インドの方法」(modus Indorum) としてアラビア数字を紹介した。この中では0から9の数字と位取り記数法が使われている。この本の中では位取り記数法の利点を、格子乗算とエジプト式除算を使い、簿記、単位の変換、利子の計算などへの応用を例にとって説明している。この本はヨーロッパの知識層へ広く受け入れられ、ヨーロッパ人の考え方そのものに大きな影響を及ぼした。 この本の中ではまた、「ウサギの出生率に関する数学的解法」などの諸問題に対する解答も記している。この解答で使用された数列が後にフィボナッチ数列として知られるようになる数列である。この数列は、インドの数学者の間では6世紀頃から知られていたが、西洋に初めて紹介したのはフィボナッチの書いた『算盤の書』である。 『算盤の書』は次の15章からなる。 第3項以降は自分自身が前2項の和に等しくなっている数列をフィボナッチ数列といい、具体的には0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144, 233, … となる。 また、隣接2項の比は黄金比(約 1 : 1.618 または約 0.618 : 1)に収束する。
13世紀初頭に、『算盤の書』の出版を通じてアラビア数学のシステムをヨーロッパに導入した。
自身で発見したわけではないが、『算盤の書』の中で例として紹介したことで、「フィボナッチ数列」に名前を残した[4]。
伝記
算盤の書詳細は「算盤の書」を参照
インド・アラビア数字の読み方と書き方
整数の乗法
整数の加法
整数の減法
整数の除法
整数と分数の乗法
分数と他の計算
三数法、商品の相場
両替
合資算
混合法
問題解決
仮定法
平方根と立方根
幾何学(測量を含む)と代数学
フィボナッチ数列詳細は「フィボナッチ数」を参照
近年の文化
1982年から1987年にロサンゼルスを中心に活躍したアート・ロックグループにThe Fibonaccisがいる。
ダン・ブラウンのベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』で、船の鍵を解く暗号がフィボナッチ数だった。
1973年のテア・ベックマン
1998年のマシュー・ライリーの小説Ice Stationでは、ステルスの搭乗の暗号としてフィボナッチ数列が使われている。
フィボナッチを記念して、1982年にラディスラフ・ブローチェクがクレチ天文台で発見した小惑星にフィボナッチ (6765 Fibonacci) の名がつけられた。
著書
Liber Abaci (1202)
Fibonacci's Liber Abaci (Hardcover ed.). Springer-Verlag. (2002-09-10). p. 672. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 0-387-95419-8