レイ・ドルビー
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レイ・ドルビー
Ray Dolby
2004年の全米発明家殿堂殿堂入り式典におけるドルビー(左)
生誕Ray Milton Dolby
(1933-01-18) 1933年1月18日
アメリカ合衆国 オレゴン州ポートランド
死没2013年9月12日(2013-09-12)(80歳)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコ
教育

スタンフォード大学 (BE)

ケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジ (PhD)

配偶者Dagmar Baumert(英語版) (m. 1966)
子供

Tom Dolby(英語版)

David Dolby

技術者の経歴
工学分野

電気工学

物理学

所属学会ドルビーラボラトリーズ
主なプロジェクトドルビーNR
主な設計サラウンド
主な受賞

アメリカ国家技術賞 (1997)

大英帝国勲章名誉オフィサー (1987)

補足
[1][2]

レイ・ミルトン・ドルビー(Ray Milton Dolby Hon OBE, HonFREng(英語版)、1933年1月18日 - 2013年9月12日[3])は、アメリカ合衆国の電気工学者である。ドルビーNRとして知られるノイズリダクションシステムを発明し、ドルビーラボラトリーズを創設した。
若年期と教育

ドルビーはオレゴン州ポートランド1933年1月18日に生まれた。父は発明家のアール・ミルトン・ドルビー(Earl Milton Dolby)である。1951年にカリフォルニア州レッドウッドシティのセコイア高校を卒業した[4]。高校生だった1949年から10年間、レッドウッドシティにあるアンペックス社でアルバイトとして研究開発に関与していた[5]サンノゼ州立大学スタンフォード大学在学中(陸軍への2年間の兵役で一時中断[6])には、アレクサンダー・M・ポニアトフ(英語版)とチャールズ・ギンズバーグ(英語版)の指導の下でビデオテープレコーダ技術の初期プロトタイプの研究を行った。

1957年、スタンフォード大学で電気工学の学士号を取得した[7]。マーシャル奨学金を得てイギリスのケンブリッジ大学に留学し、1961年に物理学の博士号(PhD)を取得した。
キャリア

ドルビーは高校生から大学生のときにかけて、アンペックス社にアルバイトとして務めていた。学位を持たない「コンサルタント」として[6]、1949年には同社初のオーディオテープレコーダの製作に携わり、1956年4月に同社が試作した4ヘッドビデオテープレコーダの開発において重要な役割を果たした[6]

ケンブリッジ大学卒業後、同大学のペンブルック・カレッジに研究員として所属した後、国際連合からの派遣でインドで技術顧問を務めた。1965年にイギリスに戻り、4人のスタッフとともにロンドンでドルビーラボラトリーズを設立した。同年、アナログテープレコーダ用の音響信号処理技術であるドルビーNRシステムを開発した。このシステムは、イギリスのデッカ・レコードが世界で初めて使用した[8]

オーディオテープのノイズリダクションの研究の後、ドルビーは映画の音響の改善に取り組んだ。ドルビーが開発した音響技術を最初に使用した映画は、1971年の『時計じかけのオレンジ』だった。この映画では、プリミックスとマスターにはドルビーの技術が使われていたが、映画館に配布するリリースプリントには従来の光学サウンドトラックが使用されていた。1974年の『暗殺指令ブラック・サンデー(英語版)』で初めて、ドルビーエンコードされた光学サウンドトラックが使用された。1976年の『スター誕生』では、ドルビーが開発したサラウンドの光学サウンドトラックが初めて使用された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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