ライト・オナラブル
(英語版)スペンサー伯爵夫人画像外部リンク
en:File:Raine Spencer, Countess Spencer.png - 1950年の写真
スペンサー伯爵夫人レイン・スペンサー(英: Raine Spencer, Countess Spencer、旧姓マッコーコデール (McCorquodale) 、1929年9月9日 - 2016年10月21日)は、イギリスのソーシャライト、地域政治家である。母にはロマンス作家・ソーシャライトだったバーバラ・カートランドを持ち、第8代スペンサー伯爵エドワード・スペンサーとの再婚によりダイアナ妃の継母になったことでも知られる。 レイン・マッコーコデール 1947年、18歳のレインはロンドン上流階級のデビュタントとなり、その年一番のデビュタントになっただけでなく、未来の伯爵ジェラルド・ハンフリー・レッグ(後の第9代ダートマス伯爵ジェラルド・レッグ)と婚約することになった[2]。ふたりは1948年7月21日に結婚した。夫は1958年にルイシャム子爵 (Viscount Lewisham) の儀礼称号を継ぎ、1962年にはダートマス伯爵となった。2人の間には4人の子どもが生まれた[1]。
幼少期
ダートマス伯爵夫人として
ウィリアム・レッグ (第10代ダートマス伯爵)(1949年9月23日生まれ) - フィオナ・キャンベル (Fiona Campbell) と2009年6月に結婚。テレビ番組プロデューサーの息子クレア・カヴァナー (Claire Kavanagh) がいる。
ルパート・レッグ(Hon. Rupert Legge、1953年1月1日生まれ) - ヴィクトリア・S・オットリー (Victoria S. Ottley) と1984年に結婚。1986年生まれのエドワード・ペレグリン (Edward Peregrine Legge) 、1989年生まれのクローディア・ローズ (Claudia Rose Legge) と2子あり。
シャーロット・パテルノ・カステロ、カルカチ公爵夫人(Lady Charlotte Legge、1963年7月16日生まれ) - 1990年12月19日に第13代カルカチ公爵ドン・アレッサンドロ・パテルノ・カステロ
ヘンリー・レッグ(Hon. Henry Legge、1968年12月28日生まれ) - 1995年12月21日にクリストファー・ホッグ(英語版)の娘クレシダ (Cressida Hogg) と結婚、娘が3人いる。
結婚以来彼女は政治に強い関心を示すようになる、23歳の時には保守党から出てウェストミンスター・シティ・カウンシル(英語版)の最年少議員となった。最初ルイシャム子爵夫人として、次いでダートマス伯爵夫人として、彼女は17年間地方議員の職を続けた。ウェストミンスターの都市計画・公園・人事委員を務め、その後はロンドン・カウンティ・カウンシル(英語版)のルイシャム南選挙区(英語版)ならびにグレーター・ロンドン・カウンシルのリッチモンド選挙区選出議員として活動した。任期の間、環境計画や古代建造物に特に興味を持ち、コヴェント・ガーデン発展委員会と、ストックホルムで開催された国際連合人間環境会議に向けた政府作業部会で議長を務めた[2]。
1973年には、建築遺産委員会で同僚だったオールトラップ子爵エドワード・スペンサーとの交際を始めた。ダートマス伯爵夫妻は1976年に離婚した[2]。
スペンサー伯爵夫人としてノーサンプトンシャーにあるオールソープ・ハウス(英語版)。スペンサー伯爵夫人は一家代々のこの邸宅について大規模な修復・改装計画を打ち立てた
オールトラップ子爵は父第7代スペンサー伯爵アルバート・スペンサーから、1975年6月9日に爵位を引き継ぎ第8代スペンサー伯爵となった。スペンサー伯爵とレインは1976年7月14日にロンドンのキャクストン・ホール(英語版)で結婚した。伯爵には前妻フランセス・シャンド・キッドとの間に後のプリンセス・オブ・ウェールズであるダイアナを含め4子がいたが、レインは継子たちに不人気で「酸性雨」Acid Raine と呼ばれていたという[注釈 1][3]。
1978年、脳出血に倒れたスペンサー伯爵をレインは献身的に介護したが、伯爵の回復は妻の介護と献身に加え、未認可薬剤の使用が関わっていたという[3]。夫の病気後レインは、スペンサー家の邸宅オールソープ(英語版)を改装したことで報道陣や自然保護活動家たちに広く批判された。新しいギルディングや壁紙をごてごてと使った内装は、改装や修繕費のためレインが処分した資産や不動産、アンソニー・ヴァン・ダイクやトマス・ゲインズバラなどの作品、家具や瀬戸物・磁器、金銀、一族の記録などを到底埋め合わせられないと言われた[3]。