レイモン・ルフェーブル
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レイモン・ルフェーブル

レイモン・ルフェーヴル[1](Raymond Lefevre、1929年11月20日 - 2008年6月27日)はフランス編曲家指揮者作曲家ピアニストフルート奏者。イージーリスニング界の第一人者として有名。特に日本では、キングレコードを発売元としていた時期に、ポール・モーリアの「ラブ・サウンドの王様」に対して、「ラブ・サウンドのシャルマン」がキャッチフレーズとして使用された。目次

1 略歴

2 代表曲(カバー含む)

3 来日公演

3.1 奏者編成

3.2 公演概要およびライブ・レコーディング


4 映画音楽

5 関連項目

6 脚注

略歴

フランスのカレーに生まれる。マルセル・モイーズに師事したパリ音楽院の学生時代に、学費捻出のため演奏していたダンスホールでジャズに傾倒、プロ・ミュージシャンとして活動を始める。同院卒業後、フランク・プゥルセル楽団でのピアニストを経て、1956年9月に女性歌手ダリダのデビュー曲『バンビーノ』の編曲と伴奏指揮を担当、レイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラ(Raymond Lefevre et son Grand Orchestre)としてのスタートを切る。その後、「ミュジコラマ」「パルマレス・デ・シャンソン」などフランスの人気音楽番組や「サンレモ音楽祭」などで指揮者を歴任。レコードでは1958年に『雨の降る日』、1968年には『ばら色の心』『ラ・ラ・ラ』が相次いで全米ヒットチャートにランクインし、注目を集める。映画音楽も手がけ、ルイ・ド・フュネス主演作品などでサウンドトラック盤を数多く発表している。日本では1969年にシングル・カットされた『シバの女王』がロングヒットとなったことから知名度が一気に上昇、ポール・モーリアフランク・プゥルセルカラベリとともにイージー・リスニング全盛期を迎える立役者の一人となった。

日本公演は、1972年に初来日して以降、11度に亘って開催され、その間の7公演でライヴ・アルバムが制作されている。ステージを退いて以降は、次男のジャン=ミッシェル・ルフェーヴルが指揮者となって2000年2002年2004年2006年に来日公演を開催している。

自ら引退するまで約650曲を録音したと言われている[2]。中でも、クラシックの曲をイージー・リスニング風にアレンジした「ポップ・クラシカル・シリーズ」は、彼の十八番となった。

オーケストラ活動を開始以来、フランス・バークレー・レコード[3]を契約先として作品を発表してきたが、1988年にバークレー社との契約を破棄してビクターエンタテインメントと日本でのアーティスト独占発売契約を締結。これが契機となって、リチャード・クレイダーマンとの共演アルバム『郷愁の詩』も制作されることとなった(1995年4月21日発売)。

2008年6月27日、パリ郊外で肝機能不全により半年強の入院生活を経て[4]死去。78歳没。
代表曲(カバー含む)

『ばら色の心』 Ame Caline “Soul Coaxing” - オリジナルは
ミッシェル・ポルナレフ(日本コロムビア 44-3 LL-2196-LL)の自作曲。

『シバの女王』 La Reine De Saba - フランスのシンガーソングライター、ミッシェル・ローラン(日本コロムビア LL-2225-AZ、当初のアーティスト表記は「ローラン」。)の自作曲。オリコンシングルチャートに110週に渡って100位以内にランクイン、同期間のみで約32万枚を越えるレコードセールスを記録している[5]TBSラジオの深夜番組「白石冬美野沢那智パック・イン・ミュージック」で長くエンディングテーマとして使用された。グラシェラ・スサーナのヒット曲『サバの女王』(EXPRESS ETP-2685)としても知られる。なおルフェーヴル版のスタジオ録音としては1967年のオリジナルの他、日本向け特別録音として[6]アルバム『ソロモンの夢』(キング GP-470)の先行シングル(同 CM-50)B面で1977年2月5日に発表された『新・シバの女王』、ジャン・ミッシェル・ルフェーヴルの編曲による2002年版の3ヴァージョンが発表されている。


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