レイモン・ラディゲ
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レーモン・ラディゲ
Raymond Radiguet
マン・レイによるレーモン・ラディゲの肖像写真(1922年)
誕生1903年6月18日
フランス共和国サン=モール=デ=フォッセ
死没 (1923-12-12) 1923年12月12日(20歳没)
フランス共和国パリ
墓地ペール・ラシェーズ墓地
職業詩人小説家
言語フランス語
国籍 フランス
最終学歴リセ・シャルルマーニュ(フランス語版)
活動期間1918年 ? 1923年
ジャンル小説戯曲
主題恋愛心理古典悲劇
文学活動新心理主義
代表作『肉体の悪魔』(1923年)
ドルジェル伯の舞踏会』(1923年)
デビュー作『肉体の悪魔』(1923年)
影響を受けたもの

ラファイエット夫人バンジャマン・コンスタン
ジャン・コクトーマックス・ジャコブ
ジャン・ラシーヌギリシア悲劇

影響を与えたもの

横光利一堀辰雄
三島由紀夫大岡昇平

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レーモン(レモン)・ラディゲ(Raymond Radiguet、1903年6月18日 - 1923年12月12日)は、フランス小説家詩人。代表作は、処女小説『肉体の悪魔』と、次作で遺作となった『ドルジェル伯の舞踏会』である。なお、フランス語では Raymond の「イ」は発音されないので、「レーモン」または「レモン」が正確な発音に最も近い片仮名表記であり、「レイモン」は誤りである。

早くからその才能を開花させ、14歳で詩作をはじめた。また詩人のコクトー、画家のピカソ、モジリアーニなどと交際し、17歳前後に2冊の詩集を出版した。18歳で小説『肉体の悪魔』を、20歳で『ドルジェル伯の舞踏会』を書いて、死んだ。
生涯

フランスはパリの郊外、サン=モール=デ=フォッセで生まれる。パリ4区マレ地区のリセ・シャルルマーニュ(フランス語版)に学ぶ[1]。幼少の頃は学業優秀でならすものの、思春期にさしかかる頃から文学にしか興味を示さなくなり、学業そっちのけで、風刺漫画家として活動していた父の蔵書を読み耽るようになる。そのときフランス文学の古典の魅力にとりつかれる。14歳の頃、『肉体の悪魔』のモデルとされる年上の女性と出会い、結果として不勉強と不登校のため学校を放校処分になる。その後、自宅で父親からギリシア語ラテン語を習いながら、徐々に詩作に手を染める。15歳の時に父親の知り合いの編集者のつてをたどって知り合った詩人のマックス・ジャコブに詩を評価され、同じ詩人のジャン・コクトーに紹介される。コクトーはラディゲの才覚を見抜き、自分の友人の芸術家や文学者仲間に紹介してまわる。数多くのコクトーの友人との交友を通して、ラディゲは創作の重心を徐々に詩作から小説に移しはじめ、自らの体験に取材した長編処女小説『肉体の悪魔』の執筆にとりかかる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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