レイモンド・バー
Raymond Burr
(1968年)
本名Raymond William Stacey Burr
生年月日 (1917-05-21) 1917年5月21日
没年月日 (1993-09-12) 1993年9月12日(76歳没)
出生地 カナダ ブリティッシュ・コロンビア州 ニューウェストミンスター
死没地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ヒールスバーグ
国籍 カナダ
職業俳優
ジャンル映画、テレビドラマ
配偶者イサベラ・ワード (1948-1952)
ロバート・ベネビデス (1960?1993)
主な作品
テレビ『弁護士ペリー・メイスン』『鬼警部アイアンサイド』
映画『裏窓』『怪獣王ゴジラ』『ゴジラ1985』
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レイモンド・バー(Raymond William Stacey Burr, 1917年5月21日 - 1993年9月12日)は、カナダ出身の俳優。 カナダのブリティッシュ・コロンビア州ニューウェストミンスター出身。父はハードウェアのセールスマン、母はピアニスト・音楽教師だった。父の仕事の関係で子供時代を中国で過ごした。両親が離婚後、母・妹・弟と共にアメリカ合衆国カリフォルニア州ヴァレーホへ移住。第二次世界大戦中は海軍に入隊したが、沖縄戦で負傷し帰国[1][2]。 海軍を退役後、演劇に興味を抱き1946年に初めて映画に出演する。続く10年間に90作品に出演した。『陽のあたる場所』、『裏窓』といった作品に出演した。悪役を多く演じたが、1956年では『怪獣王ゴジラ』でスティーブ・マーティン記者役を演じ、1985年の『ゴジラ1985』でも同役を演じた。 1957年にE・S・ガードナーの『ペリー・メイスン』シリーズのテレビドラマ化でペリー・メイスン役を演じ、テレビスターの仲間入りをした。同作品は人気を博して9年間続き、1959年と1961年にエミー賞主演男優賞を受賞した。1967年にはもう一つの長寿ドラマシリーズ『鬼警部アイアンサイド』で、車椅子の刑事役を演じた。同作品は1975年まで続いた。他にもいくつかのテレビドラマに出演したがいずれも短命に終わり、ヒットとはならなかった。 1980年にはデニス・ホッパーの監督作品『アウト・オブ・ブルー』に脇役として出演した。また、1982年にはペリー・メイスン役をパロディにした『フライングハイ2』に出演した。1985年には再びペリー・メイスン役を演じ、26本の二時間映画シリーズに出演した。 自らが演じた悪漢や不屈の英雄のイメージとは対照的に、実際の生活ではチャリティに多額の寄付を行い、また20人の孤児を養育した慈善家だった。一方で彼はテレビ局の幹部やディレクターに、自身に示すのと同じ尊敬を共演者達にも示すように主張した。 コロンビア大学映画学科では講師として演技指導を行った。 私生活では結婚歴があり、複数の女優とのロマンスが噂されたこともあったが、実際にはゲイだった[3]。 1993年9月12日、肝臓癌のためカリフォルニア州ヒールスバーグで死去(76歳没)し、故郷ニューウェストミンスターのフレーザー墓地に埋葬された。また彼はハリウッド大通り6656のハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星を持っている。 2000年10月、ブリティッシュコロンビア州ニューウェストミンスターに「レイモンド・バー・パフォーミング・アーツ・センター」がオープンした。同劇場での上演開始以来、各演幕のどこかにレイモンド・バーの写真が必ず飾られた。238の座席を持つ同劇場は650席に拡張する計画を持っていたが、2006年に閉鎖された[4]。 公開年邦題
略歴
主な出演作品
映画
原題役名備考
1948眠りの館
Sleep, My Loveストレイク軍曹
おとし穴
PitfallJ・B・マクドナルド
脱獄の掟
Raw Dealリック・コイル
ドン・ファンの冒険
Adventures of Don Juanアルバレス
1949戦乱の花嫁
Bride of Vengeanceミケロット
赤い灯
Red Lightニック・チャーニー
ラヴ・ハッピー
Love Happy
1951陽のあたる場所
A Place in the SunR・フランク・マーロウ地方検事
替え玉殺人計画
His Kind of Womanニック・フェラーロ
熱砂の戦い
New Mexicoアンダーソン一等兵
1952ダニー・ウィルスンに会ってくれ
Meet Danny Wilson
公開年邦題
原題役名備考
1957-1966ペリー・メイスン
Perry Masonペリー・メイスン主演、271エピソード
1967-1975鬼警部アイアンサイド
Ironsideロバート・アイアンサイド警部主演、194エピソード
1977特報記者キングストン