レイモンドの戦い
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レイモンドの戦い
Battle of Raymond
南北戦争

フォーティーンマイル・クリーク近くの南軍と戦うローガン師団

1863年5月12日
場所ミシシッピ州レイモンド
結果北軍の勝利

衝突した勢力
北軍 南軍
指揮官
ジェイムズ・マクファーソンジョン・グレッグ
戦力
12,000[1]4,100
被害者数
戦死68、
負傷341、
不明37戦死100、
負傷305、
捕虜415

レイモンドの戦い(レイモンドのたたかい、英:Battle of Raymond)は、南北戦争で起きた戦闘のひとつ。
概要

レイモンドの戦いとは南北戦争におけるビックスバーグ方面作戦1863年5月12日に、ミシシッピ州レイモンド近くで行われた戦闘である。北軍ユリシーズ・グラント少将が指揮するテネシー軍の部隊と南軍ジョン・C・ペンバートン中将が指揮するミシシッピおよび東ルイジアナ方面軍の部隊の間で激しい戦闘が行われた。南軍は北軍のサザン鉄道への到達を許し、この結果孤立したビックスバーグには増援も補給も不可能になった。

南軍のジョン・グレッグ准将は北軍に対して戦術的急襲による圧勝を試みたが、逆にジェイムズ・マクファーソン少将の指揮する第17軍団に急襲され潰走させられた。北軍は勢力的に3対1と南軍を上回っており、大砲の数では7対1だった[2]。この戦闘での北軍の損失は戦死68名、負傷341名、不明37名だった。南軍の損失はほぼ倍であり、戦死100名、負傷305名、捕虜415名を数えた[3][4][5]

戦闘規模は比較的小さいものだったがビックスバーグ方面作戦全体にとっては存外に大きな影響を与えた。北軍は鉄道を遮断し、南軍ペンバートン麾下の部隊を統合し、ジョセフ・ジョンストン将軍の軍隊とも合流する試みも妨げた。その結果、ペンバートンは選択肢が3つしか無くなった。ビックスバーグを放棄するか、市内に引きこもり包囲されるか、あるいは優勢な敵軍に対して決戦を挑むかだった。ペンバートンは上官からの矛盾する命令を受けたうえに部下からは公然と反抗も受け、最後の選択肢である会戦を選んだ。レイモンドの戦いは1863年5月16日チャンピオンヒルの戦いに繋がっていった。
戦闘準備グラントのビックスバーグ方面作戦

ペンバートンはフォーティーンマイル・クリークで付近の前線でグラント軍を抑えるための作戦の一部として、ジャクソンに到着している全ての援軍を20マイル (32 km)南西のレイモンドまで進軍させるよう命令した。援軍は南軍の左翼として数においてで北軍を上回ると考えられた。援軍がレイモンドに到着するとワート・アダムズの騎兵隊に支援され、アダムズ隊は北軍のジャクソンへの通路を偵察していた。アダムズはペンバートンから連隊をレイモンドに残し、15マイル (24 km)離れたエドワーズへ馬で向かい、南軍主力に付随する雑多な系統の騎兵を編成するよう命令されていた[6]。しかし、その後アダムズはジョン・S・ボーウェン少将から別の命令を受けて全部隊をエドワードに向かわせた[7]

鉄道や道路を使ってレイモンドに向かっている南軍の歩兵隊には、ルイジアナ州ポートハドソンからのグレッグやマクシーの大き目の規模の旅団や、東部から来ているWHT・ウォーカーとステイツ・ライト・ギストの旅団が含まれた。しかし、北軍グリアソンの襲撃によってジャクソン以東とブルックヘイブンの南約50マイル (80 km)の鉄道の一部が使用不能になり、南軍歩兵隊の行程は複雑になった。結果、グレッグ隊はポートハドソンからジャクソンまでの200マイル (320 km)のうち85マイル (136 km)以外は徒歩で行軍することになり5月9日に到着した。北軍ジェームズ・マクファーソン少将が発した第2の騎兵隊による襲撃はブルックヘイブン北側の鉄道を遮断した。ジャクソン・アンド・ニューオーリンズ鉄道の車両を止め、乗車していたマクシー将軍の旅団は戦場の遠く南で留まり、その後の戦闘を支援できなかった。

グレッグはジャクソンの北を流れるパール川で1日の休息を認められた後、5月11日の夜明けにレイモンドへ行軍するよう命じられた。グレッグ旅団はその日の午後遅くにレイモンドに到着し、「停止し次第休息に入った」[8]。しかしこの休息は短時間しかできなかった。町へ繋がる道路にはワート・アダムズの騎兵連隊はおらず、その道路網には南軍騎兵の5名分遣隊と州騎兵隊1個中隊がいるだけなのが判明した[9]。このためグレッグは疲れ切った歩兵で町の出口となる道路に歩哨を置くことを強いられた。

南軍の誰に知られることもなく、マクファーソン第17軍団はユーティカ近くに潜んでおり、鼓笛隊の音も忍ばせて戦力の騎兵による遮蔽を掛けていた。その2個師団はウチカとレイモンドの間の干上がった尾根道を2日掛けて少しずつ進み、水源の確保に苦心していた。一方グラント軍の残りは北の鉄道の方向を偵察していた[10]。グラントはペンバートン軍の本隊を発見した後に、マクファーソンに2個師団を10マイル (16 km)移動させて5月12日真昼にレイモンドに入城するように命じた[11]ジョン・A・ローガン少将の第3師団を遮蔽する北軍騎兵隊は夜明け前に出発して、ウチカ道路にいた州騎兵隊からの警告をほとんど直後に引き起こすことになった[12]

全ての道路に適切に警戒兵が配備されてはいなかったので、数千の南軍兵が到着したという報せは既に広まっていた。ローガンは地元の者から南軍の大部隊が道の向こうで待ち構えていることを聞き、第20オハイオ志願連隊に広い散兵戦を採らせ、ほとんど通行もできないような藪の中を1マイル (1.6 km)近くも前進させた。戦線を真っ直ぐにするための1時間の停止と出発の後、「多くの時間を費やして息を整え強い口調で」ローガンは散兵線を短くするよう命じた。午前10時頃、ローガンの2番目の旅団がフォーティーンマイル・クリークに接する小さな野原に出た[13]

グレッグには北軍の主力がエドワーズの南にいるという報せが入っており、目前の敵は襲撃隊に違いないと推測した[14]。グレッグは多くのファンファーレを鳴らせて、その部隊をレイモンドの通りを行軍させ、その脅威に向かわせた。フォーティーンマイル・クリークを見下ろす丘に到着すると兵士には身を隠すよう命じ、古参第7テキサス歩兵連隊の指揮官ハイラム・グランベリー大佐に危険な任務の志願者がおれば前進させるよう求めた。グランベリーは前進させる者の中から35名を選んでクリークに架かる橋を守らせた。グレッグの作戦は襲撃隊を誘き出して橋が燃やされる前に橋に突撃させることだった。一旦北軍が橋のこちら側に来れば、地元の志願兵に支援されたグレッグ隊3,000名がその隠れている場所から飛び出し、北軍を川床に追って、そこで餌食にしてしまおうということだった。

グレッグは北軍の散兵線が野原を横切ればグレッグの前哨隊と交戦することを予測して見守っていた。この予測は驚きに変わった。10時に散兵が樹木の切れたところで停止し、デゴライアーの第8ミシガン軽砲兵隊を呼び出し、散弾数発で橋を吹き飛ばしてしまった。砲兵隊がいるということは只一つのことを意味していた。すなわちグレッグの前の野原を占領しているのは単なる襲撃隊ではなく、少なくとも北軍の1個旅団だということだった。グレッグは挫けずに単にその攻撃作戦を変えた。その主力を左方に動かし、そのとき北軍の砲兵隊に脅かされている単に500ヤード (450 m)離れた野原はフォーティーンマイル・クリークの上の安全な丘のままにしておいた。大型の歩兵2個連隊は北軍旅団がクリークを渉るのを待ち伏せ、一方他の大型2個連隊が密かに森を抜けて北軍前線の後方に回り砲兵隊を捕獲して、北軍をフォーティーンマイル・クリークの川床に落とし込み、そこで降伏を強いるという作戦だった。その準備に気を取られ、グレッグはこの作戦をペンバートンに報せることを忘れた[14]

ペンバートンの作戦はグラントに北軍攻撃の中心を指揮させることだった。グラントは東に転じてレイモンドを攻撃することもでき、西に向かってエドワーズを攻撃することもできた。そうすることでグラント軍の脆弱な後部を南軍の戦っていない方の部隊による攻撃にさらしてしまうことになるはずだった[15]。ペンバートンはグレッグに大部隊との会戦に及ばないよう明白に命令していたが、ペンバートンが後方から北軍に痛撃を与えている間に圧倒的な部隊に直面しているジャクソンに引き返すよう命じてもいた[16]。グレッグは戦術的にその命令に逆らっているとは思っていなかった。グレッグ旅団は3,000名の戦力であり、数百の地元志願兵に支援され、間もなく援軍到着も予想できたので、通常の北軍旅団であれば2対1で勢力が勝っていた。野原中央が盛り上がっていたので視界に入らずグレッグが見ていなかったものは、第2旅団の側の野原に配置されたマクファーソン軍団の第3師団全体だった。

マクファーソンは前方の森に南軍の大部隊が隠れていることを察知し、待ち伏せを疑い始めた。部隊兵に武器を置かせ、昼食を摂らせてこれからの戦闘のために休息させた後で[13]、1個旅団を予備隊に残し、左手には騎兵隊、右手には第31イリノイ歩兵連隊と追加の騎兵を配した[17]。フォーティーンマイル・クリーク近くの北軍砲兵隊とグレッグの砲兵隊の間で砲撃戦が始まったのは兵士達が弁当を丁度包み終わったときだった[13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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