レイチェル・フラット
Rachael Flatt
2010年NHK杯の表彰式で
生誕 (1992-07-21) 1992年7月21日(31歳)
カリフォルニア州デル・マー
身長157 cm
選手情報
代表国 アメリカ合衆国
所属クラブブロードムーアSC
引退2014年1月11日
ISUパーソナルベストスコア
総合182.492010 バンクーバー五輪
SP64.642010 バンクーバー五輪
FS118.082011 四大陸選手権
獲得メダル
フィギュアスケート
世界国別対抗戦
金2009 東京団体
世界ジュニア選手権
金2008 ソフィア女子シングル
ジュニアグランプリファイナル
銀2007 グダニスク女子シングル
レイチェル・エリザベス・フラット(英語: Rachael Elizabeth Flatt, 1992年7月21日[1] - )は、アメリカ合衆国の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。
2010年バンクーバーオリンピックアメリカ代表、2010年全米選手権優勝、2008年世界ジュニア選手権優勝。 1992年7月21日、カリフォルニア州デル・マーで、生化学エンジニアの父と分子生物学者の母の一人娘として生まれる。学校の授業では理系科目が得意で、フランス語も「一応話せる」[1]。2010年5月、高校卒業後1年間は練習に専念し、2011年秋からスタンフォード大学に進学して工学を専攻する予定であることをデンバー・ポスト紙に公表した[2]。2015年6月14日に生物学の学位を取得し卒業した[3]。 何種類かの3回転-3回転のコンビネーションジャンプを跳ぶことができる選手で、2005-2006シーズンにトウループ-トウループ、2006-2007シーズンにルッツ-トウループ、2008-2009にフリップ-トウループを習得した。2008-2009シーズンのフリースケーティングには、反時計回りと時計回りの両方の向きで回るスピンを取り入れている[1]。2011年世界選手権のショートプログラムでは、ストレートラインステップシークエンスでレベル4を獲得した[4]。 4歳でスケートを始めた。父の仕事でコロラド州ボールダーに住まいを移してからはコロラドスプリングスのリンクに通っていた。しかし、車で片道2時間かけて通うのが大変だったため、ついには同地に引っ越してしまった[1]。 コロラドスプリングスのリンクに通い始めて以来、トム・ザカライセックの指導を受けている[1]。2001年から2004年まではアンドリュー・スペロフとペアスケーティングに取り組んでいた[5][1]。シングルに専念するようになってから、2004-2005シーズンの全米選手権ノービスクラス、トリグラフトロフィーノービスクラスでそれぞれ優勝。 2006年の全米選手権ジュニアクラスで2位となる。翌2006-2007シーズンは国際大会への派遣が予定されていたが、ケガのため出場できなかった。
人物
技術
経歴
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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