レイクランド_(フロリダ州)
[Wikipedia|▼Menu]

レイクランド

Lakeland
レイクランド・ダウンタウン
ポーク郡内の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯28度2分28秒 西経81度57分32秒 / 北緯28.04111度 西経81.95889度 / 28.04111; -81.95889座標: 北緯28度2分28秒 西経81度57分32秒 / 北緯28.04111度 西経81.95889度 / 28.04111; -81.95889
アメリカ合衆国
フロリダ州
ポーク郡
設立1875年頃
法人化(市)1885年1月1日
政府
 ? 種別市政委員会・マネジャー
 ? 市長ガウ・フィールズ(2010-2013)
 ? 市マネジャーダグラス・B・トーマス
面積[1]
 ? 合計74.4 mi2 (193 km2)
 ? 陸地68.79 mi2 (178.2 km2)
 ? 水域5.61 mi2 (14.5 km2)  10.9%
標高197 ft (141 m)
人口(2020年)[2]
 ? 合計112,641人
等時帯UTC-5 (東部標準時)
 ? 夏時間UTC-4 (東部夏時間)
郵便番号33801?33815
市外局番863
FIPS code12-38250[3]
GNIS feature ID0294459[4]
ウェブサイト ⇒http://www.lakelandgov.net/
オンタリオ州リッチモンドヒルと姉妹都市

レイクランド (: Lakeland)は、アメリカ合衆国フロリダ州の中央部、ポーク郡の都市である。タンパオーランドの間、州間高速道路4号線沿いにある。人口は11万2641人(2020年)。広域ではレイクランド・ウィンターヘイブン都市圏を構成している。

カナダのオンタリオ州リッチモンドヒル日本愛媛県今治市モルドババルツィジャマイカポートモア中国上海市崇明県と姉妹都市を結んでいる。
歴史
前史時代

最終氷期末近く、最初のパレオ・インディアンが大型動物を南に追ってフロリダ州中央部に入ってきた[5][6]。氷河が融けて海面が上がると、インディアンは回遊を止めてこの半島で数千年間繁栄を続けた。最初のスペインコンキスタドールが到着するまでに、半島には25万人以上のインディアンが住んでいた。初期の部族としては、トコバゴ族、ティムクア族、カルーサ族などがいた。1527年、スペインの地図にはリオ・デ・ラ・パス(平和の川)近くに開拓地が載っていた[5][6]。スペイン人が入ってきたことは、これら部族にとって大惨事に繋がった。それから150年間で、フロリダの先コロンブス期先住民の大半が消えてしまった。天然痘黄熱病のような疫病を生き延びた者も、殺されるか奴隷にされた[5][6][7][8]。ポーク郡にはこれらインディアン文化の痕跡がほとんど残っていないが、幾つか個人の人工物や貝塚など僅かに考古学的記録がある。これら部族の名残は北から移ってきてセミノール族となったクリーク族インディアンの中に融合することになった[6][8]

フロリダは1845年に州に昇格し、ポーク郡は1861年に設立された。南北戦争の後、郡庁はレイクランドの南東にあるバートーに置かれた。ポーク郡初期の歴史がバートーとフォートミードの2つの都市周辺に集中する中で、ポーク郡北部に移ってきた者達が定着を始め、レイクランドとなった。
開拓初期

レイクランドが設立されたのは1870年代であり、1884年に鉄道が開通すると発展を始めた。1885年1月1日に法人化された。この町はケンタッキー州ルイビルの住人だったエイブラハム・マンが設立したものであり、1882年に現在の中心街の土地80エーカー (320,000 m2) を購入し、1884年に町とするために区画割りした。町名として住民に検討されたものの中には、マンビル、レッドバッグ、ロームシティなどがあった。

1898年4月、米西戦争が始まり、レイクランドの発展にとっては重要な時期になった。戦争は直ぐに終わり、国内の大半にはほとんど影響しなかったが、フロリダ半島は戦争の出発点とされ、レイクランドの小さな町に9,000人以上の兵士がいた[9]

フロリダ・ブームでレイクランドにも多くの重要な建造物が建設され、その多くが今日アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。その中にはテラス・ホテル、ニューフロリダ・ホテル(リージェンシー・タワー、現在はレイクミラー・タワー)、ポーク劇場、ミラー湖遊歩道、ポーク美術館(20年代のブームの時のものではない)、パーク・トラメル・ビル(元はレイクランド図書館、現在はレイクランド商工会議所)などがある。市内には1920年代と1940年代に建設された大型ビルのある歴史地区も幾つかある。大リーグのクリーブランド・インディアンスは1923年から1927年までヘンリーフィールド・ボールパークで春季キャンプを張っていた。ミラー湖の回りに開発された公園としては、バーネット子供公園、ホリス庭園があり、最新のアレン・クライガー公園もある。

「ブーム」は急速に「弾け」、快復するまでに年月が流れた。再興に力を貸したのが、1934年にデトロイト・タイガースが春季キャンプを行うようになったことだった。タイガースは市内のジョーカー・マーチャント・スタジアムでキャンプを続け、フロリダ州リーグのレイクランド・フライングタイガースを所有している。フロリダ州中央部交通の主要施設としてレイクランド市民空港が建設されたのも重要な要因だった。1930年代には著名な建築家フランク・ロイド・ライトがこの地を訪れた。1938年、フロリダ・サザン・カレッジ学長ラッド・スパイビーの要請で、「フロリダ州における偉大な教育の殿堂」を設計した。ライトは20年間を掛けて、「真のアメリカのキャンパス」のために働いた。最初のマスタープランでは18の建造物とその他の数棟があったが、9棟が完成し、9棟は設計図に残されたままだった。建物の全てはライトの言う「テキスタイル・ブロック・システム」で建設されており、フロリダ州でそのシステムを使うのは初めてだった。自身を「地から出て、光に入る、太陽の子」という存在と表現したことから、ライトはその計画を「太陽の子」と呼んだ。世界でもライトの作品が集中したことで最大の場所であり、その後州内や国内他地域で多くの大学を造るためのパターンを形成した[10]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:70 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef