レイキャヴィーク
Reykjavik (Reykjavikurborg)
左上から:ペルトランから見たレイキャヴィーク市街、レイキャヴィークの屋根、ハットルグリムス教会から見たレイキャヴィーク市街、レイキャヴィーク自由教会、市街パノラマ
旗
紋章
アイスランド内の位置
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レイキャヴィーク[注釈 1](Reykjavik アイスランド語発音: [?rei?ca?vi?k] ( 音声ファイル))は、アイスランドの首都。 アイスランド島南西部のレイキャネース半島の根元に位置し、ファクサ湾に面する港湾都市である。首都としては世界最北の北緯64度8分に位置する。市名は「煙たなびく湾」という意味で、最初の上陸者が近郊の温泉から上る湯煙を炎の煙と見間違えて名づけた地名と言われている。 人口は市内のみで約12万人、周囲の市を含めた首都圏全体で約21万人である。アイスランドの全人口の約2/3がこの一帯に集中している。 市内の暖房・給湯システムは地熱の熱エネルギーのみで維持されており、自然エネルギーとの共存が図られている。他にも燃料電池自動車に水素を供給する水素ステーションを建設し、それを利用した路線バスを世界で初めて運行するなど、クリーンエネルギー政策の点では世界をリードしている。 市内では犬を飼うことが法律で禁止されているが、申請することで飼うことができる。また、世界で最も人口1人当たりの書店の密度が高い町と住民は自称している。 ノルマン人による最初の永住は、870年頃のインゴールヴル・アルナルソンである、と信じられている。ヴァイキングたちは、酋長の座の両側にある柱(Ondvegissulur)を海に投げ入れ、それが漂流した場所を定住地とするのが、慣習であった。レイキャヴィークの場合も、柱は島の南部から南西部の湾に漂着、定住地となった。アイスランドのサガによれば、これがレイキャヴィークの始まりとされている。 しかし、その後長い間は人口100人ほどの小さな港でしかなく、いかなる史書にも具体的な描写は登場しない。1752年、 デンマーク王国の王が、レイキャヴィークをInnrettingar Corporationに譲り渡す。市の経済を支えることになる羊毛産業が興ってくるのは、その時からである。1786年にデンマーク王が交易独占を廃すると、レイキャヴィークは交易が許される特許状を得る。この1786年が、公式の市の創設年になっている。とは言うものの、交易は依然としてデンマーク商人に支配された。宗主国デンマーク以外との自由交易が認められるようになった1880年代以降、アイスランド商人による交易が成長、発展を始める。 19世紀末になると、当時、アイスランド唯一の都市として、ヨン・シグルズソンによる独立運動の中心地となる。930年に創設された世界最古の近代議会ともいわれるアルシングが、1845年に復活。1918年にデンマーク王権下でアイスランド王国としての独立を達成し、レイキャヴィークは首都となった。
概要
歴史