ルーベン・ブラデス
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はブラデス、第二姓(母方の)はベリード・デ・ルナです。ルーベン・ブラデス(2015年)

ルーベン・ブラデス・ベリード・デ・ルナ(Ruben Blades Bellido de Luna, 1948年7月16日 - )は、パナマ市出身のサルサ歌手作詞作曲家、俳優そして政治家

最も有名な曲は、「ペドロ・ナバハ」(Pedro Navaja)。南アメリカヌエバ・カンシオン(nueva cancion)やキューバのヌエバ・トロバ(nueva trova)など「新しい歌」運動においてサルサ音楽へ詩的な洗練さをもたらし「知的なダンス・ミュージック」を創設するなど、彼の名は南アメリカ、ラテンアメリカ諸国において広く記憶されている。
来歴

父親はパーカッション奏者から探偵に転じた人物。母親は歌手兼ラジオ演劇での声優。彼の祖父は運河関連の職を得るためにパナマに移住したセント・ルシア人であり、1992年には祖父の事を歌った曲「West Indian Man」を発表している。政治家を目指しパナマ国立大学で政治学と法律の学位を取得後パナマ銀行で弁護士の職を得ていたが、1974年アメリカに移り住みマイアミで亡命した両親と一時過ごした後、ニューヨーク市のファニア・レコードに就職した。
音楽家

郵便仕分け業務に就きながら書いていた曲が認められ、レイ・バレットらとサルサ音楽で一緒に仕事をする事になった。その後すぐトロンボーン奏者ウイリー・コローンのバンドと共演し、何枚かのアルバムを制作した。彼らのアルバム『シエンブラ』は歴史的な販売記録を樹立するに到った。

1980年にはアルバム制作契約が残るファニア・レコードから離脱、エレクトラ・レーベルと契約し、後に「Seis Del Solar」または「Son Del Solar」の名で知られる事になる一流のバンドを結成する。1980年代始め頃から、映画音楽の作曲も手がけはじめる。

1985年にはグラミー賞を受賞したアルバム『エセーナス』を発売。その翌年に英語のアルバムをリリースした事を揶揄する向きもあったが、英語とスペイン語を両方ともに完璧に使いこなす歌はコマーシャル・イズムとは一線を画したものとなっている。1986年にはガブリエル・ガルシア=マルケスをテーマとした『アグア・デ・ルナ』を、その後はスティングエルヴィス・コステロらとの英語での共演などをこなす。さらに、2003年には『ムンド?地球』で再びグラミー賞の栄冠を得ている。

2004年からは音楽活動を休止し、政治活動に専念する。
俳優

1982年に、歌手から転じボクシング世界チャンピオンとなったサルバドル・サンチェスの生涯を描いた映画『The Last Fight』で主題歌の作曲とともに初の映画出演を果たした。1985年には自ら脚本執筆に携わった、ニューヨークでヒットを目指すサルサ歌手を描いた映画『Crossover Dreams』に主役として出演した。同年、彼自身の生涯を追った主演ドキュメント映画『The Return of Ruben Blades』が制作され、デンバーの映画祭で発表され、これを契機に多くの映画出演のオファーが舞い込み始めた。

1997年には、暴力に明け暮れていた少年が後に監獄の詩人と呼ばれるに至った実話を題材とした、ポール・サイモン初のブロードウェイミュージカル『The Capeman』にも出演した
政治家

歌手や俳優として有名になりつつも、政治家を目指す初志は忘れていなかった。1985年にハーバード大学で法律の修士課程を卒業し、1990年代には音楽や俳優の仕事のかたわら故郷のパナマで政党ハバエゴロ党を結成した。1994年に立候補したパナマ共和国大統領選では、落選しながらも20%の得票率を得た。2000年には人種問題に関する国連親善大使を歴任。

2004年9月には、パナマ現大統領のマルティン・トリホスの要請を受け観光庁大臣に就任している。
ディスコグラフィ

1978年 『シエンブラ』 - Siembra - ウイリー・コローンとの共作。

1979年 Bohemio y Poeta

1980年 『マエストラ・ビーダVol.1』 - Maestra Vida: Primera Parte

1980年 『マエストラ・ビーダVol.2』 - Maestra Vida: Segunda Parte

1984年 『ブスカンド・アメリカ』 - Buscando America - Ruben Blades & Seis del Solar

1984年 Mucho Mejor

1985年 『エセーナス』 - Escenas - Ruben Blades y Seis de Solar

1986年 『アグア・デ・ルナ』 - Agua de Luna - Ruben Blades y Seis del Solar

1988年 『アンテセデンテ』 - Antecedente

1988年 Nothing But the Truth

1991年 Caminando

1992年 Best of Ruben Blades

1992年 Amor Y Control - Ruben Blades/Son Del Solar

1992年 Que La Hace La Paga

1992年 『ダブル・フィロ』 - Doble Filo

1992年 Ruben Blades with Strings

1992年 Poetry: The Greatest Hits

1993年 Joseph & His Brothers

1993年 Poeta Latino

1995年 Mucho Mejor

1996年 Rosa de Los Vientos

1996年 Greatest Hits - Ruben Blades y Seis del Solar

1998年 Sus Mas Grandes Exitos

1999年 Tiempos

2000年 From Panama to New York - オーケストラとの共演。

2001年 Sembra Y Otros Favoritos Salsa Para Siempre - ウイリー・コローンとの共作。

2001年 Best

2002年 Salsa Caliente De Nu York


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