ルーフトップ・コンサート
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ルーフトップ・コンサートルーフトップ・コンサートが行われた旧アップル・コア本社
現地名 The Beatles' rooftop concert
日付1969年1月30日
会場

アップル・コア

イングランド ロンドン サヴィル・ロウ3番地

座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度30分37.48秒 西経0度8分23.13秒 / 北緯51.5104111度 西経0.1397583度 / 51.5104111; -0.1397583
時間42分[1]
演奏者

ジョン・レノン

ポール・マッカートニー

ジョージ・ハリスン

リンゴ・スター

ビリー・プレストン

ルーフトップ・コンサート (The Beatles' rooftop concert) は、1969年1月30日にビートルズイギリスロンドンサヴィル・ロウにあったアップル・コア本社の屋上で40分余にわたって行った非公開の生演奏である。「コンサート」と名付けられているが、実際はアルバム制作のために行われた録音の一環であったため、事前に告知されることはなく、関係者を除き観客もいなかった。

ドキュメンタリー映画制作のための撮影も同時に行われており、その一部は1970年に上映されたドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』で公開された。また2021年11月にディズニープラスから配信されたドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ: Get Back』では全演奏が公開された[2]

一方で音源の一部は1970年に発売されたアルバム『レット・イット・ビー』に収録された。2022年1月28日には音源の完全版が『Get Back (Rooftop Performance)』としてストリーミングによる音楽配信が開始された[3]
当日に至る経緯

新曲の公開演奏のための予行として1969年1月2日からトゥイッケナム映画撮影所で始まった、いわゆる「ゲット・バック・セッション」は、ジョージ・ハリスンの一時的な離脱を経て、新しいアルバムの録音作業に変更された[4]。1月21日にメンバー4人はサヴィル・ロウアップル・コア本社に場所を移し、地下のスタジオで正式な録音に取りかかった[1]。1月22日にはハリスンがビリー・プレストンをキーボーディストとして招聘した[5]

こうした状況の中、ポール・マッカートニーとドキュメンタリー映画制作のために撮影を行っていたマイケル・リンゼイ=ホッグは、公衆の前での生演奏でもって「ゲット・バック・セッション」を完結するという望みを依然として抱いていた。ビートルズの伝記作家である研究者のマーク・ルイソンによれば、ルーフトップ・コンサートの発案者は不明とされるが、提案自体は当日のわずか数日前にもたらされた[5]。プレストンは「アップル・コアの屋上で演奏を行うという案はジョン・レノンによるものだった」と振り返っている[6]リンゴ・スターは「どこかでコンサートを行うことは決まっていた。パラディウムとかサハラ砂漠とかいろいろ候補が出てきたけど、機材のことを考えて屋上でやることに決まった」と証言[7]。またリンゼイ=ホッグによる案とする説も存在する[8]。ビートルズのエンジニアを務めたグリン・ジョンズは自伝『サウンド・マン』の中でアイデアを出したのは自分だとし、こう述べている。「全員で3階に集まり、昼食をとっていたときのこと。そこの建物と特徴についてリンゴと話していたところ、彼から不意に、屋上に行ったことはあるかと聞かれた。ロンドンのウェスト・エンドが見渡せて、良い眺めなのだという。リンゴはわたしとマイケル・リンゼイ=ホッグを連れて上に向かい、広々とした平らな屋上と南西に延びる街の壮観な景色を見せてくれた。わたしはそこで思いついたことを口にした。大人数を相手にやりたいと思っているなら、この屋上でウェスト・エンド全域に向けてやったらどうだろう。下に降りてその案をみんなに伝えたところ、短い話し合いの末、それで行くことに決まった」[9]。ロードマネージャーのマル・エヴァンズは1月26日付の自身の日記に、「昼食のあと、新鮮な空気を吸うために屋上に上がったあとで」アイデアが浮かんだと書き記している[6][注釈 1]
当日

マル・エヴァンズの手配により、アップル・コア社屋の屋上に機材が設置された[12]グリン・ジョンズとアシスタント・エンジニアのアラン・パーソンズは、強風のために生じる雑音を避けるために、地元のマークス&スペンサーで女性用のストッキングを購入し、マイクに被せた[12]

本番は12時30分の開始を予定していたが、ハリスンとスターが演奏を渋っていたため、その時刻になってやっとメンバー4人とプレストンが屋上に現れた[13]。12時40分ごろから始まった演奏では「ゲット・バック」、「ドント・レット・ミー・ダウン」、「アイヴ・ガッタ・フィーリング」、「ワン・アフター・909」、「ディグ・ア・ポニー」の5曲が計9テイク演奏された[14]ほかに、「アイ・ウォント・ユー」と「女王陛下万歳」の短いジャムが演奏された[15]。また、レノンは曲の合間に「ダニー・ボーイ」と「A Pretty Girl Is Like a Melody」の短いフレーズを歌った[16]

白昼のビジネス街で突如始まった大音量の演奏により、道路には屋上を見上げる群衆が集まった。また近隣のビルの屋上にも人だかりができ、中には梯子で屋上近くまで上がってくる人までいた。騒動を予測していたホッグ監督は、事前にビル近隣の道路にカメラを配置し、様々な感想を述べる人々を撮影した。また通報を受けて、ロンドン市警察のレイ・ダッグ巡査とレイ・シェイラー巡査が臨場した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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