この項目では、漫才コンビのルート33について説明しています。国道については「国道33号」を、数については「33の平方根
」をご覧ください。この記事は大言壮語的な記述になっています。Wikipedia:大言壮語をしないを参考に修正して下さい。(2008年11月)
ルート33
メンバー堂土貴
マスダヒロユキ
結成年1995年
事務所吉本興業
活動時期1995年5月 -
出身NSC大阪校11期(堂土)
NSC大阪校13期(マスダ)
旧コンビ名あっぱれ団(堂土)
スキップ男爵(マスダ)
現在の活動状況ライブなど
芸種漫才
現在の代表番組なし
過去の代表番組爆笑オンエアバトル
同期堂土
中川家
陣内智則
ケンドーコバヤシなどマスダ
ブラックマヨネーズ
野性爆弾
次長課長など
公式サイト公式プロフィール
受賞歴
1999年 第20回ABCお笑い新人グランプリ 優秀新人賞
2000年 爆笑オンエアバトル 第2代チャンピオン
2001年 爆笑オンエアバトル 第3代チャンピオン
2013年 第5回お笑い全日本カップ 優勝
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ルート33(ルートさんじゅうさん)は、吉本興業東京本社に所属する日本のお笑いコンビ。1995年5月結成、爆笑オンエアバトル第2・3代チャンピオン。
メンバー
堂土 貴(どうど たかし、 (1973-08-20) 1973年8月20日(50歳) - )
ボケ担当、立ち位置は向かって左。
血液型B型。奈良県奈良市出身、奈良県立志貴高等学校卒業。
NSC大阪校11期出身。結成以前、同期で高校の同級生だったおおうえくにひろ(元ハリガネロック)とコンビを組んでいた。
2003年結婚、二児の父となるも2009年に離婚。親権は前夫人が持っている[1]。その後再婚した。
現役の芸人としては珍しくTwitterアカウントに鍵を掛け、主に朝昼晩の食事を写した画像を載せている。また鍵つきでリツイート不可の状態ながら、時折拡散希望の告知をツイートしている。
マスダ ヒロユキ( (1974-07-25) 1974年7月25日(49歳) - )
ツッコミ担当、立ち位置は向かって右。
血液型AB型。大阪府枚方市出身、大阪府立牧野高等学校卒業・大阪国際大学中退。本名及び旧芸名、増田 裕之(読み同じ)。
NSC大阪校13期出身。結成以前、コンビ「スキップ男爵」を組んでいた。
現在はDJや俳優、映画監督、イベントオーガナイザーとしても活動している。
エアーバンド「AIR's ROCK!!」を組んでいて、ワンマンライブを2度開催。現在は活動休止中。
ラッパーグループ「コインランドリー」での活動も、現在休止中。
ベース演奏を得意とし、バンドを組んでイベントに参加している。
フルマラソンの完走経験有り。
登山では毎年、富士山へ登頂。5年連続で登頂している。
プロ野球では無類の読売ジャイアンツファン。草野球チーム「京都新井學園」 (新井義幸(はりけ?んず)監督)に所属。
その他趣味はフットサル、自転車(クロスバイク)、クライミングなど。
愛犬家。犬(パン/オス)を飼っている。
2016年3月に演劇ユニットCorneliusCockBlue(s) (略称:CCB)を旗揚げ、代表を務める。
略歴
1995年5月 - コンビ結成。
1998年 - 第19回ABCお笑い新人グランプリにてノミネート。
1999年 - 第20回ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞。3月に心斎橋筋2丁目劇場閉館、同年9月に開館したbaseよしもとの主力メンバーとなる。
2000年3月 - NHK爆笑オンエアバトル第2回チャンピオン大会 2代目チャンピオン。
2001年3月 - NHK爆笑オンエアバトル第3回チャンピオン大会 3代目チャンピオン。
2001年 - 東京進出、ルミネtheよしもとなどに出演。
2013年 - 第5回お笑い全日本カップ優勝。
概要
テンポのいい漫才が持ち味。主に堂土がデブキャラで、マスダがイケメンキャラに扮する。漫才のツカミは「堂土のネクタイが短い」ことが多い。真紅のスーツがトレードマーク。2006年からは真っ白なスーツを着用していたが、現在は赤のスーツに戻っている。
第20回ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞受賞。六代 桂文枝が凄い漫才師と絶賛、トミーズも惚れ込み自分の番組にわざわざ呼んだりもした。また番組全盛期の『爆笑オンエアバトル』では常連として知られ、チャンピオン大会では同番組で初の2連覇(2000年3月の第2回と2001年3月の第3回)を達成。連覇は同番組の後継番組『オンバト+』を含めてもルート33、タカアンドトシ(第7・8回)、トータルテンボス(第10・11・12回)の3組しか成し遂げていない。しかし2001年に始まった『M-1グランプリ』では、有力候補に推されながら一度も決勝進出を果たせなかった。なお、歴代の『爆笑オンエアバトル』と『オンバト+』にてチャンピオンに輝いた漫才師の中で、唯一M-1グランプリ決勝への進出経験が全く無いコンビである。
大阪時代はレギュラー番組を持つなどそれなりに人気があり安定していたが、オンエアバトルでの2連覇を機にそれ以上のステップアップを望み東京進出(大阪吉本から東京吉本へ移籍)。その心意気は後輩たちに大きな影響を与えたと言われる。当初は『踊る!さんま御殿!!』やネタ番組などバラエティへ出演した他、ゴールデンでの準レギュラーもあったがその後数年でメディアへの露出が減少。現在では劇場・営業が主な仕事となっている。
NHK宝くじふるさとワクワク劇場(宝くじ社会貢献広報事業の一環として実施しているイベント)で、約10年に亘りコーナーMCを担当。
堂土よりマスダの方が2年後輩なので、12期出身芸人との仕事は不思議な感じになるらしい。
コント55号・ナインティナインのように、奇数のゾロ目をコンビ名に入れると売れると思いコンビ名を決めた。ちなみに、「堂土」と「増田」の漢字の画数を合計すると丁度33となる。
出囃子はthee michelle gun elephantの「sweetMONACO」。
エピソード
堂土は「笑福亭とっさん」のペンネームで『MBSヤングタウン』の常連投稿者だった。
堂土がマスダにコンビを組もうと誘ったとき、「今の相方と組むか、俺と組むか、どっちが売れるかよう考えてくれ」と言って電話を切った。
マスダが先輩の堂土を気遣い敬語を用いて喋っていたら、ある日に鏡越しで堂土から「もう敬語なんか使うなや。おれたちコンビなんやから」と告げられた。
結成後しばらくはうまくいかずマスダが悩んでいた時、堂土は「なあ、俺たちの道(ルート)に渋滞はないんや」と言って去っていった。
堂土の元コンビ、あっぱれ団が解散する時のエピソード。おおうえにある日突然呼び出され、「解散しよう」と切り出されて堂土は号泣した。3日ほど家に籠ってしまった堂土は、周りの芸人が不安になるほど落ち込んでいた。
堂土は志貴高等学校(現在の奈良情報商業高等学校)の同級生であったおおうえに「お笑いコンビを組もう」と誘われた時、「もう友達じゃなくなるな」と寂しそうにして解散時には「これでやっと友達やな」と言った。