ルーデンドルフ橋
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ルーデンドルフ橋
1945年3月に破壊される前のルーデンドルフ橋
基本情報
国ドイツ
所在地ラインラント=プファルツ州
交差物件ライン川
設計者カール・ウィーナー
施工者ビルフィンガー・ベルガー
着工1916年
竣工1919年
閉鎖1945年3月17日
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯50度34分45秒 東経7度14分39秒 / 北緯50.5792度 東経7.2442度 / 50.5792; 7.2442座標: 北緯50度34分45秒 東経7度14分39秒 / 北緯50.5792度 東経7.2442度 / 50.5792; 7.2442
構造諸元
形式通り抜けアーチ橋
材料鉄
全長325
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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ルーデンドルフ橋 (ドイツ語: Ludendorffbrucke)は、ドイツラインラント=プファルツ州にあった、ライン川に架けられた鉄道橋レマーゲンとエルペルを結んでいたこの橋は、第二次世界大戦末期にライン川で唯一破壊されずに残っていたことから、西部戦線での戦略上重要な地点となり、ドイツ軍アメリカ軍の間で争奪戦(レマーゲンの戦い)が行われたことで知られる。

「レマーゲンの橋(レマーゲン鉄橋、レマゲン鉄橋とも。Brucke von Remagen、The bridge at Remagen)」の名で呼ばれる事が多い。
建設

ルーデンドルフ橋は1916年第一次世界大戦中の西部戦線への軍需品輸送のために建設された。設計したのはカール・ヴィナー(Karl Wiener)であった。長さ325 mで2本の線路歩道が設置されていた。架橋提案者の一人であったエーリヒ・ルーデンドルフ将軍に因んでルーデンドルフ橋と命名された。第一次世界大戦後、占領軍として進駐したアメリカ第3軍が管理する4橋のうちの一つであった。鉄橋を渡る鉄道は第一次大戦以来使用されておらず、第二次世界大戦前はただの道路橋のような状態であった。
争奪戦「レマーゲンの戦い」も参照
アメリカ軍による占拠

バルジの戦いが終わった後の1945年2月までに、連合軍はフランスの大部分を解放し、ライン川西岸地帯を制圧していた。次の戦闘として、天然の要害であるライン川の渡河に焦点が移っていた。下流ではモントゴメリー元帥麾下のイギリス陸軍第12軍が、上流ではパットン将軍のアメリカ陸軍第3軍がライン川渡河を競った。

1945年3月7日、アメリカ第1軍第3軍団第9機甲師団(英語版)の兵士がランバージャック作戦(Operation Lumberjack)中にライン川に架かる2本の無傷の橋を発見した。一つはレマーゲンのルーデンドルフ橋、もう一つはヴェーゼル(英語版)の鉄道橋だった。ドイツ軍は橋を爆破しようとしたものの、ルーデンドルフ橋は爆薬の量が不十分[注釈 1][注釈 2]であったために橋は落ちず、アメリカ軍が同日4時5分に橋を確保した。

最初に橋を渡りライン川を超えたアメリカ兵はアレクサンダー・ドラビク(英語版)軍曹で、また将校としてはカール・ティンマーマン少尉が最初の1人であった。

橋が残ったことは連合国で「レマーゲンの奇跡」と呼ばれ、アイゼンハワーは「橋の重さ分の金と同じ価値がある」と言った。橋はドイツ軍の爆破のために酷く損傷していたが、24時間の間に約8,000人のアメリカ兵がライン川を渡った。

ヒトラーは爆破に失敗した5人の将校を軍法会議にかけ、4人は即座に処刑された(1人は既にアメリカ軍の捕虜になっていたので欠席裁判だった)。
独軍の反撃と崩落

ドイツ軍はあらゆる手段を講じて橋の破壊を試みた。オットー・スコルツェニー親衛隊中佐は配下の特殊部隊「フロッグマン」をライン川に潜らせ爆破を試み、空軍は連合軍の制空権下にジェット爆撃機Ar 234Bを投入し、更にV2ロケットを11発も打ち込んだが、鉄橋から遠く離れた人家や米軍陣地に落ちるばかりで一発も命中せず、落橋させることが出来なかった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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