ルーゴン・マッカール叢書
Les Rougon-Macquart
[ ウィキデータ項目を編集 ]
テンプレートを表示
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル 文学
『ルーゴン=マッカール叢書』(ルーゴン=マッカールそうしょ、Les Rougon-Macquart)は、19世紀フランスの自然主義作家エミール・ゾラによる、全20作で構成された作品群。単にルーゴン・マッカールともいう。 本叢書はフランスの文豪エミール・ゾラのライフワークであり、ゾラの唱えた自然主義文学理論の実践である。ゾラはダーウィンの進化論やクロード・ベルナール「実験医学研究序説」(初版1865年)の影響を受け、自然主義文学を構想・理論化する。その具体的実践として本叢書が企画・執筆された。理論的論文としては後に「実験小説論」が執筆された(1880年)。 本叢書はバルザックの『人間喜劇』に匹敵する文学的世界を築き上げようとの試みである。当初全10巻の予定で構想されたが、拡大され、最終的には全20巻となった。バルザックと同様の人物再登場手法を採用しているが、それぞれ作品のつながりは『人間喜劇』の場合に比べるときわめて弱く、内容的関連はほとんど存在しない。
意義
日本語訳、新潮社、大鐙閣、アルスで一部が出版されていた。これらは1999年に本の友社
戦後は、1953年に岩波文庫から15冊目『大地』、角川文庫から1958年に10冊目『ごった煮』、1959年に第8冊『禁断の愛(愛の一ページ)』が出版されているが入手困難。
2002年より論創社で小田光雄訳と伊藤桂子訳が刊行開始、2009年に13冊目『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』が刊行された。新訳は同時期刊の藤原書店〈ゾラ・セレクション〉全6冊、ちくま文庫のセレクションなどを併せほぼ揃っている。 「第二帝政下における一家族の自然的・社会的歴史」(histoire naturelle et sociale d'une famille sous le Second Empire )という副題からもわかるように、本叢書はフランス第二帝政下の社会をすべて描き尽くそうとする野心的な試みでもある。登場人物も1200人を数え、ルーゴン・マッカール家の者達も国務大臣を務める政治家(ウージェーヌ・ルーゴン)から、パリの洗濯女(ジェルヴェーズ・マッカール)まで、当時のフランスにおけるほとんどすべての社会層に及ぶ。 フーク家
ルーゴン・マッカール家
家系図
ルーゴン家(1) アデライード・フーク
Adelaide Fouque マッカール家(2)
ピエール・ルーゴン
Pierre Rougon ムーレ家 ユルシュール・マッカール
Ursule Macquart アントワーヌ・マッカール
Antoine Macquart
パスカル・ルーゴン
Pascal Rougon ウージェーヌ・ルーゴン
Eugene Rougon アリスティド・ルーゴン・サッカール
Aristide Rougon Saccard シドニー・ルーゴン
Sidonie Touche マルト・ルーゴン
Marthe Mouret フランソワ・ムーレ
Francois Mouret シルヴェール・ムーレ
Silvere Mouret エレーヌ・ムーレ
Helene Rambeau ジェルヴェーズ・マッカール
Gervaise Coupeau リザ・マッカール
Lisa Quenu ジャン・マッカール
Jean Macquart
クロチルド・サッカール
Clotilde Saccard ヴィクトル・サッカール
Victor Saccard マクシム・サッカール
Maxime Saccard アンジェリック・ルーゴン
Angelique Marie オクターヴ・ムーレ
Octave Mouret セルジュ・ムーレ
Serge Mouret デジレ・ムーレ
Desiree Mouret ジャンヌ・グランジャン
Jeanne Grandjean ポーリーヌ・クニュー
Pauline Quenu 二人の子供
叔姪婚(近親相姦) シャルル・サッカール
Charles Saccard クロード・ランチエ
Claude Lantier エチエンヌ・ランチエ
Etienne Lantier ジャック・ランチエ
Jacques Lantier アンナ・クーポー(ナナ)
Anna Coupeau
ジャック=ルイ・ランチエ
Jacques-Louis Lantier 娘 ルイ・クーポー
Louis Coupeau
作者自身による系図
1878年時点の系図。「愛の一ページ」に挿入されたメモに掲載。
1892年に書かれた最後の系図。作者自身の注釈があり、「パスカル博士」と同時に出版された[1]。
作者と親交があった植物学者のジョルジュ・プーシェによって数学的に分析された系図。これは「パスカル博士」の草稿に含まれていたもので、上の祖先から受け継がれた要素が同じ色で示されている[2]。
評価・変遷1872年時点の自筆による作品リスト。ここには17作品が書かれているが、のちに他の作品に昇華されたものもある。
構想の時点(1869年)ではいまだフランス第二帝政が継続中であったため、叢書はいわば「同時代の記録」となるはずであったが、第1作『ルーゴン家の誕生
出版当初は、ほとんどといっていいほど売れなかった。当時フローベールはジョルジュ・サンドへの書簡で、「ゾラの新刊『プラッサンの征服
ところが、第7作『居酒屋』が新聞に連載されるとすさまじい反響を巻き起こし、フランス社会を真っ二つにする論争が起こった。そして読者からの非難が集中し、新聞連載自体を中止せざるを得なくなった。