ル・マン24時間レース
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この項目では、自動車による耐久レースについて説明しています。オートバイによる耐久レースについては「ル・マン24時間耐久ロードレース」をご覧ください。

ル・マン24時間レース
24 Heures du Mans

FIA 世界耐久選手権
開催地サルト・サーキット
初開催1923
耐久時間24時間
最多勝利
(ドライバー)トム・クリステンセン (9)
最多勝利
(チーム)ヨースト・レーシング (13)
最多勝利
(マニファクチャー)ポルシェ (19)

ル・マン 24時間レース(ル・マンにじゅうよじかんレース、: 24 Heures du Mans )は、フランスル・マン近郊で行われる四輪耐久レースである。24時間でのサーキット周回数を競う。主催はフランス西部自動車クラブ(ACO)で世界耐久選手権(WEC)の1戦でもある。ル・マン24時間耐久レースと記されることもある。
概要 2017年大会

1923年に「ラッジウィットワース杯24時間耐久グランプリ(Grand Prix d'Endurance de 24 Heures Coupes Rudge-Whitworth)」として初開催された歴史あるレースのひとつで[注釈 1]フォーミュラ1モナコグランプリアメリカインディ500と並び「世界三大レース: Triple Crown of Motorsport)」と呼ばれる。またデイトナ24時間レーススパ・フランコルシャン24時間レースとともに「世界三大耐久レース」とも呼ばれる。そのため、世界中の耐久レースに大きな影響を与えており、ル・マン・シリーズ(LMS)や世界耐久選手権(WEC)の車両規定はル・マンのものに準じている。他の長時間レースと同様に、車両やその周辺環境に対する新技術が導入されてから一般車両等へ展開されることが多く、24時間走行、変化する天候、30回以上の給油、同一コースを300周以上走行した距離は約5000kmとある過酷な条件の下、過去に発生した事故を教訓として安全性の向上を求めて技術革新の最先端となっている。

これまでにレースが中止されたのは、フランス自動車工業界のストライキの影響による1936年と、第二次世界大戦と戦後のフランスの疲弊と混乱による1940年から1948年にかけての間だけである。スポーツカーレースに参戦するマニュファクチャラー(自動車メーカー)と、レーシングチームにとって、ル・マンでの勝利は非常に名誉なものとされており、各チームが最重要レースとして入念な準備をして臨む。
開催方式
サーキット ル・マン24時間が開催されるサルト・サーキットのピット詳細は「サルト・サーキット」を参照

競技はフランス中部にあるル・マン市のル・マン24時間サーキット(Le circuit des 24 heures du Mans)と呼ばれる全長13kmを超える周回コースで行われる。その2/3は普段は一般道で、レースウィーク中のみ閉鎖される。スタートおよびゴール地点とその周辺は競技専用のブガッティ・サーキットの一部を使用する。なお、オートバイの24時間レースはブガッティ・サーキットのフルコースで行われる。

各コーナーには「テルトル・ルージュ」、「ミュルサンヌ」、「ポルシェカーブ」、「フォードシケイン」などの、レース業界で著名な名称がついている。サルト・サーキットの名物といえば全長6kmに及ぶロングストレート「ユノディエール」であったが、マシンの進歩により1988年には最高速が405km/hに達するなどしたため、危険性を低減させるべく1990年に2箇所のシケインが設けられた。
出場資格

参加するだけでも名誉なことであり世界各国の自動車メーカーやレーシングチームからのエントリーが殺到することから、現在は、各年の出場チームは主催者であるフランス西部自動車クラブ(ACO)が選考し、エントリーの招待状を送付する。

審査は前年大会の優勝者、FIA 世界耐久選手権(WEC)への参戦履歴、ACOの車両規定を採用するスポーツカー選手権(ヨーロピアン・ル・マン・シリーズアジアン・ル・マン・シリーズウェザーテック・スポーツカー選手権)における成績などから判断する。

また、最大参加台数の55台[注釈 2]に加えて、2012年より近未来の自動車技術に挑戦する車両に対してガレージ56という賞典外の特別枠が用意されている。2016年は病で四肢を失ったドライバーが選ばれた[1]

かつては多すぎるエントリー希望者を振るい落とすため、テストデーで予備予選が行われた時期もある。また、ル・マンに的を絞って特別に開発したマシンで、ルマンに合わせエントリーしようとするマニュファクチャラーがいたため、国際自動車連盟(FIA)がル・マンを含めた世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)全戦への参加を義務付けたこともあった。
スケジュール ル・マン24時間のスタート(2018年)

毎年6月に、1年の内で最も昼の長い夏至の頃に開催される。6月上旬にはサーキットの一般公道部分を閉鎖してテストデーが行われる。

レースウィークは日・月曜日にル・マン旧市街地のリパブリック広場で一般公開の公式車検を行い、水曜日にフリー走行と公式予選1回目、木曜日に公式予選2・3回目を行う。レース中に夜間走行があるため予選も深夜近い時間帯に行われるが、初夏のル・マンは日の入りが22時頃と遅い。日没後には気温が下がり、タイムアタックに適した時間帯となる。金曜日はル・マン市内でドライバーズパレードを行う。

土曜日の午前中にウォームアップ走行を行い、午後3時にスタートフラッグが振られレース開始となる。例年、主催者のフランス西部自動車クラブ(ACO)がスタートフラッグを振る人物を選ぶ。日没後に日曜日を迎え、午前6時に日の出、午後3時に栄光のチェッカーフラッグを受ける。
ル・マン式スタート ル・マン式スタート(1965年)詳細は「ル・マン式スタート」を参照

1925年大会より用いられたスタート方式は、コース幅の片側に競技車を配置し、ドライバーが車両の反対側からコースを渡るよう駆け寄って乗車する。

「ル・マン式スタート」と呼ばれて他のレースでも採用されたが、シートベルトをきちんと締めないままスタートするドライバーが続出するなど危険であり事故も多く、「初代ミスター・ルマン」ことジャッキー・イクスは身をもって抗議の意を表明した。

1971年は通常のグリッド式スタンディングスタートを採用し、1972年以降は耐久レースでは一般的なローリングスタートを採用している。
オフィシャルカー

ペースカーはその年度にEU圏内で新発売された車輌が採用される。第1回レースが開催されてから65年目となる1999年には、自国フランスの自動車ではなく、その年デビューしたばかりのベントレー・アルナージが起用された。1923年、第1回目のレースが国際レース化を謳いながら殆ど自国の車で占められていたものの、イギリスからエントリーした2台のベントレーとベルギーの"エクセルシオール"によって辛うじて国際レースとして開催できたことに対する感謝を忘れることなく形にしたものとして注目された。

日本車では、日産がエントリーしていた1990年日産・フェアレディZ 300ZX、同じく日産がエントリーしていた1997年日産・スカイラインGT-R(BCNR33)が採用された。
コース全長の変遷

A (
1923年 - )17.262 km - 現テルトルルージュ付近に向かわず、ル・マン市内中心部まで行き引き返すコースだった。

B (1929年 - )16.340 km

C (1932年 - )13.492 km - テルトルルージュ→ユノディエールへと続く現コースの原型になった。

D (1956年 - )13.461 km - 1955年の大事故を受けピット前ストレートのスタンドを後退させた。

E (1968年 - )13.469 km

F (1972年 - )13.640 km

G (1979年 - )13.626 km

H (1986年)13.528 km - ミュルサンヌコーナーの交差点が十字からロータリーに変更されたため、ロータリーを避ける専用コースでショートカットしている。

I (1987年 - )13.535 km - ダンロップコーナー前にシケインが設置された。

J (1990年 - )13.600 km - ユノディエールに2か所のシケインが設置された。

K (1997年 - )13.605 km - ダンロップシケインのレイアウトを変更した。

L (2002年 - )13.650 km - ダンロップブリッジ下からS字までレイアウトを変更した。

M (2006年)13.650 km - ダンロップシケイン付近を改修した。

N (2007年 - )13.629 km - テルトルルージュ付近を改修した。

O (2018年 - )13.626 km - ポルシェカーブ付近を改修した。

優勝車/優勝者各年の優勝記録についてはについては「ル・マン24時間歴代勝者」を参照
メーカー別勝利数 ポルシェ・956(1983年) アウディ・R10 TDI(2006年) ベントレー・4?リットル(1928年)

1位. 19回 - ポルシェ

2位. 13回 - アウディ

3位. 9回 - フェラーリ

4位. 7回 - ジャガー

5位. 6回 - ベントレー

6位. 5回 - トヨタ

7位. 4回 - アルファロメオ

7位. 4回 - フォード

9位. 3回 - マトラ

9位. 3回 - プジョー

11位.2回 - ブガッティ

11位.2回 - ロレーヌ・ディートリッシュ

11位.2回 - メルセデス・ベンツ

14位.1回 - シュナール・エ・ワルケル

14位.1回 - ラゴンダ

14位.1回 - ドライエ

14位.1回 - タルボ

14位.1回 - アストンマーティン

14位.1回 - ミラージュ

14位.1回 - ルノー

14位.1回 - ロンドー

14位.1回 - マツダ

14位.1回 - マクラーレン

14位.1回 - BMW

特筆的な出来事
一人で24時間に挑戦

ピエール・ルヴェーは1952年にタルボ=ラーゴで出走し、23時間に渡ってステアリングを握りトップを走り続けたが、疲労のためギアを入れ間違えてエンジンを壊しリタイアとなった[2]。現在は危険防止のためレギュレーションが変更されており、このような長時間連続運転はできない。

これにより、たなぼた的に優勝(総合1・2位)を果たしたメルセデス・ベンツであったが[3]、メルセデスのチーム監督であったアルフレート・ノイバウアーは、その後ルヴェーをメルセデス・ベンツチームへ招聘している(後述)。
1955年の事故詳細は「1955年のル・マン24時間レース」を参照

1955年に発生し、多数の死傷者を出したこの事故は、モータースポーツ界に大きな影響を与えたのみならず、事故の当事者となった自動車メーカーのその後の経営にも大きな影響を与えることになった。 メルセデス・ベンツ・300 SLR(同型車) ジャガー・Dタイプ(同型車)


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