ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-
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ル・コルビュジエの建築作品?近代建築運動への顕著な貢献?
ドイツアルゼンチンベルギーフランスインド日本スイス

国立西洋美術館本館
英名The Architectural Work of Le Corbusier, an Outstanding Contribution to the Modern Movement
仏名L’?uvre architecturale de Le Corbusier, une contribution exceptionnelle au Mouvement Moderne
面積98.4838 ha
(緩衝地帯 1,409.384 ha)
登録区分文化遺産
文化区分記念工作物9件、遺跡8件
登録基準(1), (2), (6)
登録年2016年 (第40回世界遺産委員会
公式サイト世界遺産センター(英語)
使用方法表示
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ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-(ル・コルビュジエのけんちくさくひん きんだいけんちくうんどうへのけんちょなこうけん)は、20世紀近代建築運動に多大な影響を及ぼした一人であるル・コルビュジエの作品群、ことにその中でも傑作とされる住宅、工場、宗教建築などをまとめて世界遺産リストに登録した物件である。世界各地に残るル・コルビュジエの建築作品のうち、フランスを中心とする7か国に残る建築群が対象となっており、大陸を跨ぐ初の世界遺産登録となった。

世界遺産の暫定リストに当初記載されていた名称はル・コルビュジエの建築と都市計画であった。2009年の第33回世界遺産委員会で「情報照会」と決議された後、構成資産見直しの過程で現在の名称へと改名され[1]第40回世界遺産委員会(2016年)にてその名称で世界遺産リストに登録された。なお、登録名称の日本語訳に使われている「?」は、外務省や文化庁の発表では全角マイナスが使われている[2][3]
概要

スイス出身の建築家ル・コルビュジエは「近代建築の五原則」を定式化し、近代建築運動を推進する上でも大きな影響力を持った。そのため、20世紀の建築が評価され、世界遺産に登録されるものも複数現われる中で、彼の作品の世界遺産登録をめざす機運が高まった。21世紀になるとフランスのル・コルビュジエ財団が中心となって登録への動きが本格化し、推薦資産の選定が国際的な呼びかけとともに行われるようになった。

選定の結果、彼が初期に手がけたジャンヌレ=ペレ邸やシュオブ邸、「近代建築の五原則」を実現していく上で意義のあったクック邸やヴァイセンホフ・ジードルングの住宅、およびその完成形といえるサヴォア邸、集合住宅であるイムーブル・クラルテやスイス学生会館、および集合住宅の傑作とされるマルセイユのユニテ・ダビタシオン、彼の「無限成長美術館」構想に基づく国立西洋美術館(上野)、後期の宗教建築であるロンシャンの礼拝堂ラ・トゥーレット修道院、さらには彼が唯一実現させた都市計画であるチャンディガール [注釈 1]など、彼の生涯や建築家としての貢献を辿る上で欠かせない23件が推薦されることになった。

ただし、2009年に世界遺産委員会で審議される前にチャンディガールは一度除外され、その委員会審議においては、「顕著な普遍的価値」を建築家個人の生涯と結びつけることに疑問が寄せられた。関係各国はその後推薦資産の見直しを行い、19件に絞り込んだ上で2011年に再推薦したが、むしろ以前よりも厳しい判断を下された上で、登録が見送られた。ただし、ル・コルビュジエの建築を世界遺産に登録すること自体は支持されており、同時に大陸を越える大規模なシリアル・ノミネーションの事例としての評価は受けた。

2015年に三度目の推薦が行なわれ、2016年にICOMOSから「登録」を勧告され[4]第40回世界遺産委員会で正式登録された[5]
ル・コルビュジエの建築「ル・コルビュジエ」も参照のこと。なお、以下の太字は後述の推薦資産に含まれていることを示す。ル・コルビュジエ(1933年)

ル・コルビュジエ1887年 - 1965年)はスイスラ・ショー=ド=フォン出身の建築家である。ラ・ショー=ド=フォンは時計製造業で有名な町であり[注釈 2]、ル・コルビュジエも当初は時計製造業の道を志したが、弱視のため果たせなかったという[6]。生まれ故郷にはごく初期の建築であり、地元の建築様式からの脱却を目指したジャンヌレ邸が残る。

建築の道に進んだル・コルビュジエは第一次世界大戦に際し、再建のための安価な住宅を大量生産するアイデアとして「ドミノ」 (Dom-Ino) を考案した[7]。これは遊戯のドミノとの語呂合わせでもあるが[6]ラテン語のドムス (Domus, 家) とフランス語イノヴァシオン (Inovation, 革新) に由来するル・コルビュジエの造語で、柱、床スラブ、階段のみを単位とする工法である[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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