ル・クレジオ
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ジャン=マリ・ギュスターヴ・
ル・クレジオ
ストックホルムでの記者会見にて(2008年)
誕生 (1940-04-13) 1940年4月13日(84歳)
フランス国 ニース
職業小説家
国籍 フランス モーリシャス
活動期間1963年 - 現在
主な受賞歴ルノードー賞(1963年)
ノーベル文学賞(2008年)
デビュー作『調書』
ウィキポータル 文学
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ノーベル賞受賞者
受賞年:2008年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:新たな旅立ち、詩的な冒険、官能的悦楽の書き手となって、支配的な文明を超越した人間性とその裏側を探究した[1]

ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ(Jean-Marie Gustave Le Clezio, 1940年4月13日 - )は、フランス出身の小説家1963年、『調書』でデビュー。2008年ノーベル文学賞受賞。
来歴

フランスのニースにイギリス籍の父とフランス籍の母との間に生まれる。18世紀末のフランス革命期に「長髪を切ることを拒んで」[1]ブルターニュからインド洋モーリシャス島に移ったブルトン人の移民の家系である。父母の国籍が異なるのはモーリシャス島がフランス領からイギリス領に移行したためであって、父母はいとこ同士である。父の職業は医師であり、ジャン=マリは8歳の時、イギリス軍に外科医として従軍した父に従い家族でナイジェリアに滞在した。ナイジェリアではフランス語と英語の環境で育ち、この間に集中的に読書をし文学に目覚めた。作家デビュー前は英語で書くかフランス語で書くか迷ったすえ後者を選んだと言う[2]1968年にモーリシャスが英連邦王国の一員として独立して以降はフランスとモーリシャスの二重国籍となる。

1950年にニースに戻り中等教育を終えた後、イギリスのブリストル大学で英語を学ぶ。1964年にはマルセル・A・リュフの指導の下、「アンリ・ミショーの作品における孤独のテーマ(Le Theme de la solitude dans l'?uvre d'Henri Michaux)」という論文をニース大学(英語版)に提出し、学士号を取得している。リュフの兄弟子に仏文学者の井上輝夫がいる[3]。なおル・クレジオはミショーと直接面識を持っていた。

作家としてのデビュー作は1963年の『調書』であり、この作品でルノードー賞を受賞。ゴンクール賞[4]の候補にもなるなど華々しいデビューを飾る。長身と美貌からメディアにも注目され、サルトルカミュにも比せられた。続いて作品集『発熱』(1965年)、長編『大洪水』(1966年)、エッセイ『物質的記憶』(1967年)などを発表していき、作家的地位を確立する。初期の作風は言語や狂気を主題にした実験的なものであったが、ヌーヴォー・ロマン全盛のパリからは距離を置いて作家活動を行なった。

1966年からは義務兵役代替のフランス語教授としてタイ、翌年からはメキシコに滞在。1967年には初めて日本を訪問している。この頃から中南米に惹かれるようになり、1970年から1974年までパナマの密林に住むインディアン(エンベラ族)に混じって生活しながら執筆を行なった。この体験がエッセイ『悪魔祓い』(1971年)として描き出され、この作品により1972年にヴァレリー・ラルボー賞を受ける。1975年にベルベル人の血を引くモロッコ人女性ジェミアと結婚。のち3子をもうける。

1970年代後半からメキシコの文化に傾倒し、メキシコの各地の大学で客員教授を務めながら、ヨーロッパによるアメリカ先住民への略奪の歴史を研究、初期メキシコの歴史に関する論文によりペルピニャン大学で博士を取得した。1980年、これらの研究の成果を間接的に生かすかたちで書かれた小説『砂漠』を発表。この作品でアカデミー・フランセーズにより第1回ポール・モーラン賞を受賞した。

2006年に39年ぶりに来日。東京(一橋大学、東京外国語大学府中キャンパス)で講演を行なったほか、文化人類学者である今福龍太の案内で奄美群島を、また親交のある作家津島佑子の案内で北海道を訪れた。奄美群島への旅行では、特にガジュマルの樹を目にした時に、インド洋、モーリシャスとの繋がりを感じたという。北海道ではアイヌ民族の人々と交流をもった。2007年から翌年まで、韓国梨花女子大学校でフランス語とフランス文学を教えた。

2008年、ヨーロッパ文明への批判的な視点と詩的な文章が評価されノーベル文学賞を受賞。フランス語作家としては1985年のクロード・シモン以来23年ぶりの受賞者となった。

2009年に来日し、同じくノーベル文学賞受賞者の大江健三郎との対談を行った[5]。英訳された数多くの大江作品を読み、感銘を受けたという。

2013年2015年にも来日しており、日仏文化会館や東京大学などで講演を行っている。ル・クレジオは複数のインタビューや近著『Ballaciner』(2007)において日本映画への愛着を語っている。


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