ルンビニー
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仏陀の生誕地ルンビニ
ネパール

釈迦が産湯につかったとされる池
英名Lumbini, the Birthplace of the Lord Buddha
仏名Lumbini, lieu de naissance du Bouddha
登録区分文化遺産
登録基準(3),(6)
登録年1997年
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図

使用方法表示

ルンビニ(Lumbin?、藍毘尼 ネパール語: ????????)は、ネパールの南部[1]タライ平原にある村。仏教の開祖・釈迦(本名・サンスクリット語: ガウタマ・シッダールタ)の生まれたとされる地。仏教の四大聖地の1つでもある。
発掘調査

1992年からマーヤー・デーヴィー寺院の解体修復工事に合わせ、ルンビニー開発トラスト(英語版)の要請により、全日本仏教会が発掘調査を行った。

寺院中心部から70センチメートル×40センチメートル、厚さ10センチメートルのマーカーストーン(印石)が発見され、アショーカ王による石柱の建立以前から釈迦の生誕地を示す標識として置かれていたとも考えられる。寺院は当初より東西26メートル、南北21メートルの外壁に囲まれ、発掘で6期にわたり増改築がなされていたことが判明した。遺物では銀や銅の貨幣、装飾れんが、ガラスや水晶の玉類、石柱の破片などが見つかった[2]
世界遺産ルンビニの概要

マーヤー・デーヴィー寺院を中心に、アショーカ王が巡礼したときに建立された石柱、釈迦が産湯をつかったという池などが残る。巡礼者で賑わっているが、特に12月から1月にかけて多い。

1997年ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている。
登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。

(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

ルンビニでの釈迦

仏典[要出典]に伝えられるところによれば、釈迦のこの世への現れは以下のようであったとされる。釈迦は、母親の摩耶夫人(まやふじん/ぶにん マーヤー)がお産のために実家へ里帰りする途中にルンビニ(藍毘尼) の花園で休んでいた時に夫人の脇の下より姿を現し誕生した。釈迦はこの世へ出てすぐに七歩歩いて右手で天空を指し左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と声を出したと言う。生後一週間で生母は亡くなり、母の妹、摩訶波闍波提(まかはじゃはだい、マハープラジャパティー )により釈迦は養育されたという。

[3]ルンビニの地名は多くの文献に記載され実在していた事は確認されたが、具体的な位置は長く忘れ去られており、ブッタを伝説上の人物とする可能性も語られていたが、1896年にインド考古局のアーロイス・アントン・フィーラーの発掘調査により、ブッタ生誕の地を証明する遺跡が数多く発見された。

まず、仏舎利塔から黄金の舎利容器から人骨が発見された。さらにマウリヤ朝第三代王で仏典にも仏教の庇護者としてしばしば名前の記載されるアショーカ王が「ブッタがこの地で生誕したのでルンビニ村の租税を軽減する。」と刻ませた石柱が発見された。この地がルンビニであり、釈迦が史実の人物であったことが証明された。
ルンビニ釈尊生誕地聖域計画整備されつつある聖園地区

釈迦の生誕地の周囲を聖地公園として整備する「ルンビニ釈尊生誕地聖域計画」が立案され、1978年日本建築家丹下健三がマスタープランを作成。現在もこの計画に基づき整備が進められている。この聖地公園整備計画は、国際連合の元事務総長であり自らも仏教徒であるウ・タントミャンマー)の提唱により開始され、仏教の広まっている国々からさまざまな寺院仏塔などが建設されるも建設途中や造成中の建物、未整備な土地が多い。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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