ルル_(歌手)
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ルル
OBE
2012年 ロンドンにて
基本情報
出生名Marie McDonald McLaughlin Lawrie
生誕 (1948-11-03) 1948年11月3日(75歳)
出身地 イギリス グラスゴー
ジャンルロックポップス
職業歌手、作曲家、女優、タレント
担当楽器ボーカル
活動期間1964年 ? 現在
レーベルデッカ
フォンタナ
アトランティック
コロムビア
エピック
RPM
ポリドール
マーキュリー
アトコ
共同作業者ザ・ラヴァーズ
テイク・ザット
Kavana etc.
公式サイト ⇒www.lulu.co.uk

ルル(Lulu)の芸名で知られるルル・ケネディ=ケアーンズ(Lulu Kennedy-Cairns, OBE1948年11月3日 ? )は、イギリススコットランド出身の歌手作曲家女優テレビタレント1960年代から現在までショウビジネスの第一線で活躍している。

アメリカでは、1967年に公開されたジェームズ・クラヴェル監督、シドニー・ポワチエ主演の映画『いつも心に太陽を』のバーバラ・ペグ役と、「同名の主題歌」を歌ったことで有名。イギリスではデビュー曲「シャウト」 (Shout)、ユーロビジョン・ソング・コンテストのエントリー曲となった「恋のブンバガバン」(Boom Bang-a-Bang) などがよく知られている。
経歴
1960年代

出生名メアリー・マクドナルド・マクローリン・ローリー (Marie McDonald McLaughlin Lawrie)。 地元で肉屋を営む一家の長女としてグラスゴーのレノックスタウンで育つ[1]。4歳でエリザベス2世の戴冠記念祝賀行事に出席し、歌を披露する[1]

14歳の時から地元のバンド The Gleneagles にリードシンガーとして加入。グラスゴーやエジンバラのクラブに出演したほか、毎週日曜日の夜にはグラスゴーのディスコ、リンデラ・クラブのステージに上がるようになる。ここで長きにわたってビジネス・パートナーとなるマリオン・マッセイに発掘される。マッセイはローリーとバンドのマネージャーとなり、全員をロンドンに連れて行く。マッセイはローリーにルルという芸名を与え、同時にバンドの名前も「ザ・ラヴァーズ」と改めさせた[1]

コロムビアとの契約には失敗したが、間もなくデッカ・レコードと契約。1964年春、ルル・アンド・ザ・ラヴァーズとして、アイズレー・ブラザーズの「シャウト」をカバーし15歳にしてプロ・デビュー。「シャウト」はUKチャートの7位まで上昇し[1]、ルルはテレビ、ラジオに引っ張りだこの人気アイドルとなる。1965年には『メロディ・メイカー』誌上で「Britain’s Most Promising Newcomer In Showbusiness(ブリテンのショウビジネスにおいて最も有望な新人)」に選ばれる[1]

1966年にはザ・ラヴァーズから離れ、ソロ歌手として完全に独立。ホリーズとともにポーランドで公演、イギリス人女性歌手として初めて東欧圏でライブを行った。同年、ミッキー・モストのプロデュースを希望し、2年前に自分たちを落としたコロムビアに移籍。

1967年4月には、ニール・ダイアモンドのペンになる「The Boat that I Row」でUKシングル・チャートにカムバックする(最高6位)。モストのプロデュースでリリースした7枚のシングルはいずれもチャート・インした[2]

1967年、映画初出演作となる『いつも心に太陽を』が公開され、ルルが歌った主題歌は全米1位に輝いた。イギリス国内ではポップ・スターとして人気を博し、同年BBCで音楽とコメディをフィーチャーした人気番組『Three Of A Kind』に出演したことをきっかけに、翌1968年から1975年まで、彼女自身がパーソナリティを務めるテレビ番組を持つことになる(番組名は『Lulu’s Back In Town』、『Happening For Lulu』など何度かリニューアルした)[3]。この頃には権威ある新聞各紙上で「ベスト・ドレッサー」「ミス・バレンタイン」等、様々な賞を受賞した。特にディスク紙の「トップ・テレビ・アーティスト」、ニュー・ミュージカル・エキスプレス紙の「ザ・ワールド・トップ・フィメイル・シンガー・オブ・ザ・イヤー」が著名である[1]

1969年3月、彼女は「恋のブンバガバン」を引っ提げ、イギリス代表としてユーロビジョン・ソング・コンテスト1969に出場。スペインオランダフランスの各代表と最後まで激しく争ったが見事優勝を勝ち取った(後の1975年、今度はルルがBBCの「ソング・フォー・ヨーロッパ」のホステスとしてシャドウズを本戦に送り出している)。この数週間前には、ビージーズモーリス・ギブと結婚。ハネムーンはルルのユーロビジョン出場のため延期された。

1969年の大晦日、BBC1の特番「ポップ・ゴー・’60s」に出演し、「恋のブンバガバン」を歌って1960年代を締めた。
1970年代

1970年、「Oh Me Oh My (I’m a Fool for You Baby)」(後にアレサ・フランクリン、バスター・ポインデクスター、ジョン・ホルトらがカバー)でアメリカのヒット・チャートのTop30にランクイン。

1972年、BBCの特番『Fifty Years Of Music』にゲストのひとりとして出演。同年、パレス・シアターでクリスマスのパントマイム舞台『ピーターパン』に主演した。

1973年、モーリスと離婚。多忙な2人のすれ違いとモーリスの深酒が原因であった(モーリスの兄バリーは彼らが若過ぎることを理由に当初から結婚に反対していた)。同年「モーキャンビー&ワイズ・ショー」に出演し、「All the Things You Are」、「Happy Heart」を歌った。

1974年にはロジャー・ムーア主演のボンド作品『007 黄金銃を持つ男』のメインテーマを担当。同年、デヴィッド・ボウイの「世界を売った男」(The Man Who Sold the World)、「Watch That Man」をカバー・レコーディング。ボウイ自身がプロデュース、サックスの演奏、バッキング・ボーカルを買って出た。

1976年の大晦日には、エリザベス2世の戴冠25周年を記念して放送された、BBC1の『Jubilee Of Music』で「シャウト」を披露した。
1980年代

1980年初頭はヒットチャートに登場する機会はやや減っていた。エルトン・ジョンレーベルロケット・レコードから「I Love to Boogie」をリリースしたが、プレスの好意的な批評にもかかわらずチャートの75位にも上がらなかった。

しかし、翌1981年には、「I Could Never Miss You (More Than I Do)」で全米チャートに返り咲く(トップ20入り、アダルト・コンポラリー・チャートでは2位まで上昇)。翌年も「If I Were You」が中ヒットを記録。アルバム『ルル』収録の 「Who’s Foolin’ Who」でグラミー賞にノミネートされた。

1983年、自身の過去のヒット曲を再レコーディングし、そのうち「シャウト」のニューバージョンが1986年にUKトップ10ヒットとなり、『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演した。

1980年代前半は、ウェスト・エンドで上演されたアンドルー・ロイド・ウェバーミュージカル『ソング・アンド・ダンス』、ロイヤル・ナショナル・シアターの『ガイズ&ドールズ』等、意欲的に舞台に取り組んだが、ウェバーの公演では外科手術を受けなければならないほど喉を傷めたこともあった。

その他、ITVで復活したテレビシリーズ『オー・ボーイ!』の司会、ロンドンのキャピトル・ラジオ・ステーションのパーソナリティ、カタログ通販のフリーマンズ・ファッションに関ったりと多忙な日々を過ごす。


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