ルルデス・グリエル・ジュニア
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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はグリエル、第二姓(母方の)はカスティーヨです。(Template:スペイン語圏の姓名

ルルデス・グリエル Jr.
Lourdes Gurriel Jr.トロント・ブルージェイズ #13
2020年7月27日
基本情報
国籍( ハイチに亡命)
出身地 キューバ
サンクティ・スピリトゥス州サンクティ・スピリトゥス
生年月日 (1993-10-19) 1993年10月19日(28歳)
身長
体重6' 3" =約190.5 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション遊撃手二塁手左翼手一塁手
プロ入り2016年
初出場2018年4月20日
年俸$1,928,571(2019年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


エイドリノサラバリア高等学校

ガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥス

レオネス・デ・インダストリアレス

トロント・ブルージェイズ (2018 - )

派遣歴


横浜DeNAベイスターズ (2015)

国際大会
代表チーム キューバ
プレミア122015年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ルルデス・ユニエルキ・グリエル・カスティーヨ(Lourdes yunielki Gourriel Castillo, 1993年10月10日[2] - )は、キューバ共和国サンクティ・スピリトゥス州サンクティ・スピリトゥス出身のプロ野球選手内野手外野手)。右投右打。MLBトロント・ブルージェイズ所属。

ファーストネームは、キューバやアメリカのメディアではユニエルキスよりも、「ルルデス・ジュニア(Lourdes Jr.)」または父と同じ名前の「ルルデス・グリエル(Lourdes Gurriel、もしくは括弧つきでLourdes Gourriel (junior))」と表記されることが多い。NPB時代の登録名は、グリエルJr.。目次

1 経歴

1.1 キューバ時代

1.2 キューバ国外移籍解禁後

1.3 ブルージェイズ時代


2 家族

3 詳細情報

3.1 年度別打撃成績

3.2 年度別守備成績

3.3 背番号

3.4 代表歴


4 脚注

4.1 注釈

4.2 出典


5 関連項目

6 外部リンク

経歴
キューバ時代

2010年、17歳でガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥスの選手として、キューバの国内リーグ「セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル」にデビュー。

2014-2015シーズンは、課題であった打撃が大幅に向上した。また、国際大会である中央アメリカ・カリブ海競技大会にキューバ代表として選出され、キューバ代表の優勝に貢献した。
キューバ国外移籍解禁後「セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル#キューバ国外への選手派遣」も参照

2015年2月2日、前年から所属していた次兄のユリの契約更新と共に、年俸3,500万円の2年契約で横浜DeNAベイスターズへの入団が決まった[3]。背番号は91。登録名は「グリエルJr.」。しかし、左手首痛の治療をキューバ国内で行うため、左大腿部痛を訴えていたユリとともに兄弟揃って来日が延期になった。4月2日に、球団側は来日と診断書の提出を求めたものの返答がなく、契約違反であるとして[4]制限選手として手続きが取られたことが発表された[5][注釈 1]。7月には第15回ワールドポート・トーナメント キューバ代表に選出され、MVPを受賞した[7]。11月にはWBSCプレミア12キューバ代表として出場。12月2日にはDeNAから自由契約となったことが公示された[8]

2016年2月にはシエゴ・デ・アビラの補強選手としてカリビアンシリーズに出場。準決勝で敗退後に、次兄のユリと共に開催国のドミニカ共和国内からハイチへ亡命した[9]。長兄のユニエスキはカリビアンシリーズに出場していないためキューバ国内に留まっており、「カリビアンシリーズでの最後の試合の後に2人と連絡が取れなくなった。それまでは毎晩連絡を取りあっていたのに。私達もみんなと同じニュースで亡命を知り、2人のことは何もわからない」と語っている[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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