ルピタ・ニョンゴ
Lupita Nyong'o
2019年
本名Lupita Amondi Nyong'o[1]
生年月日 (1983-03-01) 1983年3月1日(41歳)
出生地 メキシコ メキシコシティ
出身地 ケニア
国籍 メキシコ
ケニア[2]
(二重国籍)
民族ルオ族
ケニア系メキシコ人
職業女優、映画監督、ミュージック・ビデオ監督
活動期間2004年 -
著名な家族ピーター・アニャング・ニョンゴ
受賞
アカデミー賞
助演女優賞
2013年『それでも夜は明ける』
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演女優賞
2019年『アス』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
助演女優賞
2013年『それでも夜は明ける』
放送映画批評家協会賞
助演女優賞
2013年『それでも夜は明ける』
全米映画俳優組合賞
助演女優賞
2013年『それでも夜は明ける』
キャスト賞
2018年『ブラックパンサー』
その他の賞
備考
第74回ベルリン国際映画祭 審査委員長(2024年)
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ルピタ・モンディ・ニョンゴ(Lupita Amondi Nyong'o, 1983年3月1日 - )は、ケニアとメキシコの女優、映画及びミュージック・ビデオ監督である[2]。
ケニア人の両親のもとにメキシコで生まれ、すぐにケニアに帰国して育った。現在はアメリカ合衆国を拠点に活躍する。スティーヴ・マックイーン監督の映画『それでも夜は明ける』(2013年)での演技が絶賛され、アカデミー助演女優賞などを受賞した。
生い立ち(英語版)のもとに生まれた[6]。その直後に両親はグアダルーペ(Guadalupe)の聖母のにちなんでルピタ(Lupita)と名付けた[7]。彼女はルオ族の家系であり、6人兄弟のうちの2人目である[8]。父親はケニアの元医療大臣であった。ルピタの誕生時に彼はエル・コレヒオ・デ・メヒコ(英語版)で政治学の講師として働いた[8][9]。
彼女が1歳未満の頃、父親がナイロビ大学の教授となったために家族と共にケニアに戻った[7][8]。主にケニアで育った彼女は自分を「郊外の中産階級」であったと生い立ちを説明した[9]。16歳の頃に両親はスペイン語を学ばせるために彼女を7ヶ月間メキシコに送った[7][10]。この間に彼女はタクスコ(英語版)に住み、メキシコ国立自治大学の外国人向けの学習センターで授業を受けた[10]。
2013年時点ではニューヨーク州ブルックリン区に住んでいる。英語、スペイン語、スワヒリ語、ルオ語に堪能である[10]。 幼少期は家族と共によく演劇を鑑賞して育った[11]。初めての演技はケニアの女学校時代に出演した舞台『オリバー・ツイスト』での脇役であった[9]。14歳の頃、ナイロビのフェニックス・プレイヤー
学歴とキャリア
ニョンゴはハンプシャー大学(英語版)で映画と演劇の学位を得て卒業した後[14]、フェルナンド・メイレレスの『ナイロビの蜂』、レイフ・ファインズやミーラー・ナーイルの『その名にちなんで』などに製作スタッフとして参加した[15]。彼女は女優としてのキャリアを追求するインスピレーションを受けた人物として、ファインズを挙げている[9]。