ルビコン川
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ルビコーネ川
現代のルビコーネ川の流路(青線)
延長29 km
水源の標高250 m
河口・合流先アドリア海ガッテーオ・ア・マーレ
流域 イタリア エミリア=ロマーニャ州
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ルビコン川(ルビコンがわ、ラテン語: Rubico ルビコー)は、共和政ローマ末期にイタリア本土と属州ガリア・キサルピナの境界になっていた。アリミヌム(現在のリミニ)の北、ラウェンナ(ラヴェンナ)との間でアドリア海に注いでいた。ローマ内戦開戦時のユリウス・カエサルの故事にちなむ「ルビコン川を渡る」という成語は、その時のカエサルの「賽は投げられた」という言葉とともに知られている。

現代のイタリア語ではルビコーネ川(Rubicone)という語形になり、エミリア=ロマーニャ州南東部のサヴィニャーノ・スル・ルビコーネ付近でアドリア海に注ぐ川(旧称: フィウミチーノ川)がこの名で呼ばれている。しかしこの地域では古代以来河道の変化などが生じているため、カエサルが渡った「ルビコン川」を現在のどの川にあたるとみなすかについては、数世紀にわたる論争がある[1]目次

1 地理

2 歴史

2.1 古代ローマの「ルビコン川」

2.2 ルビコン川論争


3 文化・観光

4 現ルビコーネ川以外の「ルビコン川」候補

4.1 ピシャテッロ川

4.2 ウーゾ川


5 脚注

6 関連項目

地理 サヴィニャーノ・スル・ルビコーネを流れるルビコーネ川とローマ時代の橋

ルビコーネ川(旧称: フィウミチーノ川)はアペニン山脈に源を発し、エミリア=ロマーニャ州南東部のフォルリ=チェゼーナ県内を流れる、全長30キロメートル弱の、さして長くはない川である。下流域の町サヴィニャーノ・スル・ルビコーネ付近においても、川幅は狭いところで1メートル、広いところでも5メートル程度と、歴史的な知名度のわりには小さな川である[1]

水源はソリアーノ・アル・ルビコーネにあり、サヴィニャーノ・スル・ルビコーネの集落付近を通過して、ガッテーオ・ア・マーレ(ガッテーオ分離集落)とサヴィニャーノ・ア・マーレ(サヴィニャーノ・スル・ルビコーネの分離集落)の間でアドリア海に注ぐ。河口両側のガッテーオ・ア・マーレとサヴィニャーノ・ア・マーレは、リゾート地として開発されている。

一時は乱開発が進んだことなどにより、エミリア=ロマーニャ州で最も汚れた川の一つに数えられていた。
歴史
古代ローマの「ルビコン川」 ポイティンガー図(3世紀作成、中世に模写)の拡大図。絵で記された都市 Ravennna(ラヴェンナ)および Curva Cesena (チェゼーナ)の右、 Arimino (リミニ)の間に fl. Rubico (ルビコン川)が描かれている。赤で記された街道沿いには、Ad Novas(チェゼナーティコ)や Ad Confluentes といった地名が書き込まれ、地点間の距離がローマ数字(単位はミリオ)で記されている。

共和政末期の古代ローマにおいては、ルビコン川とアルノ川を結ぶラインがイタリア本土の北限、属州ガリア・キサルピナとの境界線の役割を果たしていた。軍団を率いてこの川を越え南下することは法により禁じられており、禁を破ればすなわち共和国に対する反逆とみなされた。

一般にルビコン川の名前は、紀元前49年1月10日ローマ内戦においてユリウス・カエサル元老院の命令に背き、軍を率いてこの川を渡った故事によって知られる。この際に「賽は投げられた」(alea iacta est, アーレア・ヤクタ・エスト)と部隊に檄を飛ばしたことはあまりにも有名である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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