ルパート・ランド(Rupert's Land)は、北米大陸(主に現在のカナダ)において、19世紀にイングランドの勅許会社であるハドソン湾会社が所有していた広大な私有地のことである。ハドソン湾会社の初代総督であったカンバーランド公ルパートにちなんで名付けられた。
経緯ルパート・ランド
イングランド王チャールズ2世から勅許されたことにより、ハドソン湾会社はハドソン湾およびハドソン湾に注ぐすべての河川の流域を含む390万平方kmの広大な土地(現在のカナダの1/3にあたる)に対する独占権を得た。
1821年にはモントリオールを拠点とした北西会社(Northewest Company)とハドソン湾会社は合併し、この土地はさらに北極海及び北太平洋まで拡張した。
1870年、独占交易権は撤廃され、この土地は起業家に公開された。ハドソン湾会社はこの土地をカナダ連邦(Dominion of Canada)政府に譲渡し、北西領土(North-Western Territory)と併せて、ノースウェスト準州(Northwest Territories)となった。準州はその後、マニトバ州ほか多くの州が創設され分割されたり、ケベック州など周辺の州に領域を削られたりして、現在の領域になっており、現在のノースウェスト準州の領域のうち、ルパート・ランドに由来する部分は少ない。
ルパート・ランドはカナダのプレーリー地区および北極圏を傘下に置くカナダ聖公会の教区として、またマニトバ州の主教管区名として残っている。
関連項目
ハドソン湾会社
北西会社
表
話
* 現在は英連邦王国 · 現在はイギリス連邦の一員ヨーロッパ
12世紀
1337-1453 フランス
18世紀
1708?1757 メノルカ島
1713- .mw-parser-output span.smallcaps{font-variant:small-caps}.mw-parser-output span.smallcaps-smaller{font-size:85%}ジブラルタル
1763?1782 メノルカ島
1798?1802 メノルカ島
19世紀
1800?1964 マルタ直轄植民地
1801-1921 アイルランド
1807?1890 ヘルゴラント島
1809?1864 イオニア諸島合衆国
20世紀
1921-1937 アイルランド自由国
北アメリカ
17世紀
1607?1776 バージニア
1610?1907 ニューファンドランド
1619- バミューダ諸島
1620?1691 プリマス
1629?1691 マサチューセッツ湾植民地
1632?1776 メリーランド
1636?1776 コネチカット
1636?1776 ロードアイランド
1637?1662 ニューヘイブン植民地
1663?1712 カロライナ
1664?1776 ニューヨーク
1665?1674 及び 1702-1776 ニュージャージー
1670?1870 ルパート・ランド
1674?1702 東ジャージー
1674?1702 西ジャージー
1680?1776 ニューハンプシャー
1681?1776 ペンシルベニア
1686?1689 ニューイングランド
1691?1776 マサチューセッツ
18世紀
1701?1776 デラウェア
1712?1776 ノースカロライナ
1712?1776 サウスカロライナ
1713?1867 ノバスコシア
1733?1776 ジョージア
1763?1873 プリンスエドワード諸島
1763?1791 ケベック植民地
1763?1783 東フロリダ
1763?1783 西フロリダ
1784?1867 ニューブランズウィック
1791?1841 ローワー・カナダ
1791?1841 アッパー・カナダ
19世紀
1818?1846 コロンビア地区 / オレゴン・カントリー1