ルノーサムスン自動車
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ルノーコリア
Renault Korea

種類株式会社
本社所在地 韓国
ソウル特別市衿川区
(登記上の本社は釜山広域市江西区ルノーサムスン大路61)
設立2024年
業種輸送機器
代表者ステファン・デブレイス
(:Stephane Deblaise、CEO
売上高3兆4007億ウォン(2020年)
営業利益796億ウォン(2020年)
外部リンク ⇒www.renaultkoream.com
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ルノーコリア
各種表記
ハングル:?????
漢字:?????
発音:ルノコリア
2000年式
MR式
英語:Reuno Korea jadongcha
R?no Korea chatongch'a
Renault Korea Motors
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ルノーコリア釜山工場(画像はルノーサムスン自動車時代のもの)ルノーサムスン大路を示す標識ルノーサムスン時代のディーラーの例(-2015年、瑞草区ルノーサムスン時代のディーラーの例(2015年-、海雲台区

ルノーコリア(ルノーコリア、: ?????、: Renault Korea、略称、RKM)は、フランスルノー傘下の韓国の自動車メーカー。ソウル特別市衿川区に本社[注釈 1]を置く。旧社名はルノーサムスン自動車(RSM、2000-2022)、ルノーコリア自動車(RKM、2022-2024)。

釜山広域市江西区昌原国家産業団地内に製造工場(敷地面積約165.000m2)とR&Dセンター、ならびにギャラリーをもち、その周辺にはルノーサムスン大路(Renault Samsung-daero、??????、??三星大路)と名付けられた幹線道路が通っている[注釈 2]。また、京畿道に研究所とルノーデザインアジアスタジオを有する。後述の商標使用許諾契約によりサムスンの名称がついていたが、2022年3月の社名変更により、完全にルノーグループの一員に加わった。

CIマーク(通称、ダイナモエンブレム)は、台風の目を形象化したものであり、「顧客中心の経営方針を確固たるものにする」「先んじた考えの下でのクルマ造り」という原動力を表現したものである。また、上下左右対称のデザインは「信頼性の追求」を示し、カラーは「プレミアムイメージの主張」である[1]。CIマークはサムスン自動車設立当初より採用されていたが(その当時のカラーは青も使用されていた)、ルノーコリアに社名変更後はダイナモエンブレムの基本を踏襲しつつ、親会社ルノーの最新CI(ロザンジュ)と融合されたようなデザインとされている。

2015年下半期からは、ルノーのビジュアルカラーであるイエローを各ディーラーの看板の一部に採採用し、ルノーファミリーの一員であることを強調している。また、2016年からは公式サイトにもイエローが採用され、さらに翌2017年からは社内に「ルノーコリア事業部」が設けられたことにより、トゥイジーの導入を皮切りに、ルノー車の販売も始まった。

ルノーサムスンのハングルでの発音は、「ルノサムソン」が近く、「ルノーサムスン」では通じにくいこともあった。また、ルノーサムスンはドメスティックブランドであり、初期に行われていた自ブランドでの「SQ5」の輸出(後述を参照)と2020年に行われたXM3の少量輸出を除き、韓国以外では使われなかった。

2022年3月、後述する商標使用許諾契約解除後の猶予期間満了(2022年8月)を前に社名を「ルノーコリア自動車」に変更[2]

2024年4月3日、社名を「ルノーコリア自動車」から「ルノーコリア」に変更。併せて、社章が長年親しまれてきたダイナモエンブレムからルノーグループのシンボルマークである「ロザンジュ」に変わった。
経営方針(経営理念)

RIGHT(=正しい)というキーワードを掲げ、全員一丸となって仕事に取り組んでいる。

「Reliable(=信頼できる)」

「Idential(=同一の→一定品質)」

「Genuine(=本物の)」

「Honest(=正直な)」

「Transparent(=ありのままの)」
歴史
三星自動車発足までの経緯?経営破綻

三星グループの自動車業界への進出計画は以前からあったが、長年にわたり自動車産業への参入を時々の政権に阻害され続けてきた。

しかし、当時会長であった李健煕の強い意志のもと、1990年代より計画実現が徐々に現実味を帯びていくこととなり、当時の大統領である金泳三の支持基盤である釜山を工場建設地に指定し、1994年末に日本日産自動車からの技術導入による自動車産業への参入を申請した。

政府内部では自動車産業の過剰投資を憂慮する反対論が根強かったが、既存の政府主導による産業政策から産業自由化政策へ転換すべきとの自由化論が優勢となり、三星は自動車産業参入の認可を手に入れた。

1997年末の通貨危機を経て、1998年3月から同社初の乗用車であるSM5の生産が始まり、同年に約4万台が生産されるも、通貨危機で内需と輸出が激減し1998年末には大宇電子との事業交換で合意し、その後の6か月は操業中断状態にあった。そして2000年、三星自動車は会社設立から約6年、操業から1年4か月で経営破綻した。
ルノー=日産アライアンス[3]とルノーサムスンの誕生

1990年代後半にデザインや商品戦略などの相次ぐ失敗で販売不振が深刻化し、経営危機がささやかれた日産自動車が1999年3月にフランスのルノーと企業同盟を結び資本提携した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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