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ルネ・デカルト
Rene Descartesデカルトの肖像
フランス=ハルス画(1648年)
生誕 (1596-03-31) 1596年3月31日
フランス王国・アンドル=エ=ロワール県ラ・エー
ルネ・デカルト(仏: Rene Descartes、1596年3月31日 - 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。 ラテン語名はレナトゥス・カルテシウス (Renatus Cartesius) である。デカルト座標系(仏: systeme de coordonnees cartesiennes ; 英: Cartesian coordinate system)、デカルト積(デカルトせき、英: Cartesian product)のようにデカルトの名がついたものにカルテジアン(Cartesian)という表現が用いられる。デカルト主義者もカルテジアン(仏: Cartesien ; 英: Cartesian)と呼ばれる。 考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり」は哲学史上で最も有名な命題の一つである。そしてこの命題は、当時の保守的思想であったスコラ哲学の教えであるところの「信仰」による真理の獲得ではなく、人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求していこうとする近代哲学の出発点を簡潔に表現している。デカルトが「近代哲学の父」と称される所以である。 ただし、デカルトはそのすべてを信仰も根ざして考えており、著書『方法序説』においても神の存在証明を哲学的にしようと試みてさえいる。 初めて哲学書として出版した著作『方法序説』(1637年)において、冒頭が「良識 (bon sens) はこの世で最も公平に配分されているものである」という文で始まるため、思想の領域 また、当時学術的な論文はラテン語で書かれるのが通例であった中で、デカルトは『方法序説』を母語であるフランス語で書いた。その後のフランス文学が「明晰かつ判明」を指標とするようになったのは、デカルトの影響が大きい、ともいわれる。 デカルトは1596年に、中部フランスの西側にあるアンドル=エ=ロワール県のラ・エー 1606年、デカルト10歳のとき、イエズス会のラ・フレーシュ (La Fleche) 学院に入学する。1585年の時点で、イエズス会の学校はフランスに15校出来ており、多くの生徒が在籍していた。その中でもフランス王アンリ4世自身が邸宅を提供したことで有名であるラ・フレーシュ学院は、1604年に創立され、優秀な教師、生徒が集められていた。 イエズス会は反宗教改革・反人文主義(反ヒューマニズム)の気風から、生徒をカトリック信仰へと導こうとした。そして信仰と理性は調和する、という考え(プロテスタントでは「信仰と理性は調和しない」とされる)からスコラ哲学をカリキュラムに取り入れ、また自然研究などの新発見の導入にも積極的であった。
名前
概要
生涯
生い立ち、学生時代