ルネサンス期のイタリア絵画
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モナ・リザ』(1503年 - 1519年頃)、レオナルド・ダ・ヴィンチ
ルーヴル美術館(パリ)

ルネサンス期のイタリア絵画(ルネサンスきのイタリアかいが)では、13世紀終わりに勃興し、15世紀初めから16世紀半ばにかけて最盛期を迎えた芸術運動であるルネサンスにおいて、当時多くの都市国家に分裂していたイタリアで描かれた絵画作品を解説する。ルネサンス美術は、黎明期(1300年 - 1400年)、初期(1400年 - 1475年)、盛期(1475年 - 1525年)、そして後期のマニエリスム期(1525年 - 1600年)に大別することができる。しかしながら、個々の画家たちの独自表現、作風が複数の時代区分にまたがっていることもあり、作品に明確な相違が見られるわけではない。

イタリアでのルネサンス絵画の黎明期はジョットに始まるとされ、その後、タッデオ・ガッディオルカーニャアルティキエーロら、ジョットの弟子がその作風を受け継いでいった。初期イタリアルネサンスで重要な画家として、マサッチオフラ・アンジェリコパオロ・ウッチェロピエロ・デッラ・フランチェスカヴェロッキオらの名前があげられる。盛期ルネサンスではレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロラファエロ、マニエリスム期ではアンドレア・デル・サルトポントルモティントレットらがとくに重要な画家である。

ルネサンス期にイタリアで描かれた絵画作品は、芸術分野以外でのルネサンス運動、例えば哲学、文学建築、神学、科学など様々な要素を反映している。さらには当時の社会情勢も、絵画作品へ大きな影響を与えた。また、ルネサンス期にイタリアで活動していた画家たちは、特定の宮廷、あるいは都市と強く結びつくこともあったが、それでもなお多くの画家はイタリア中を訪れ、ときには外交特使の役目を担って、芸術と哲学の伝播に重要な役割を果たした[1]

メディチ家による銀行の創設と、それに続く貿易の隆盛は、メディチ家が根拠としていたフィレンツェに莫大な富をもたらした。それまで芸術家の重要なパトロンは教会や君主だったが、メディチ家当主コジモ・デ・メディチ(1389年 - 1464年)が、それらとは無関係なルネサンス期の典型ともいえる新たな芸術パトロン像を確立した。

ルネサンス期を通じてフィレンツェは、ジョットマサッチオブルネレスキピエロ・デッラ・フランチェスカレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロら、錚々たる芸術家を輩出している。これらの芸術家は新しい絵画様式を確立し、一流の技量を持つとはいえないその他の芸術家たちにも大きな影響を与え、フィレンツェの絵画界全体の技量と品質向上に大きな役割を果たした[2]ヴェネツィアでもフィレンツェと同様に芸術分野での大きな向上が見られ、ベリーニ一族[注釈 1]マンテーニャジョルジョーネティツィアーノティントレットらが、ルネサンス期のヴェネツィアを代表する画家たちである[2][3][4]
画題『サン・ロマーノの戦い』(1438年 - 1440年頃)、パオロ・ウッチェロ
ナショナル・ギャラリーロンドン

ルネサンス期に描かれた絵画作品は、ローマ・カトリック教会からの依頼で制作されたものが多い。大規模な作品も多く、「キリストの生涯」や「聖母マリアの生涯」あるいは聖人、とくにアッシジの聖フランチェスコといったテーマが、フレスコ画で繰り返し描かれた。他にもキリスト教的救済と、現世において救済の役割を担う教会をテーマにした寓意画も多数描かれている。教会が注文した作品には板に描かれた祭壇画もあり、これは後にキャンバス支持体として油彩で制作されるようになった。このような大規模な祭壇画とは別に、小さな宗教画も非常に多く描かれている。これらは教会ならびに個人による注文で描かれたもので、画題としては聖母子が多い。『善政の寓意』(1338年 - 1340年)、アンブロージョ・ロレンツェッティ
プブリコ宮殿(現在のシエーナ市庁舎)(シエーナ

ルネサンス全期を通じて、教会、個人以外に都市国家からの絵画制作依頼も重要で、公的な建造物の内装はフレスコ画などの美術品で装飾された。例えばシエーナ共和国の庁舎として建てられたプブリコ宮殿(現在のシエーナ市庁舎 (en:Palazzo Pubblico))には、アンブロージョ・ロレンツェッティによる世俗的な題材である『善政の寓意』の一連のフレスコ画が、シモーネ・マルティーニによる宗教的な題材である『荘厳の聖母(マエスタ)』のフレスコ画がある。『ジョン・ホークウッド騎馬像』(1436年)、ウッチェロ
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂フィレンツェ

実在する特定の個人を描いた肖像画は14世紀、15世紀初頭にはあまり描かれておらず、都市国家に貢献した重要人物を記念する肖像画が描かれた程度である。このような記念肖像画として、シモーネ・マルティーニの『グイドリッチョ・ダ・フォリアーノ騎馬像』(シエナ市庁舎、1327年)、パオロ・ウッチェロの『ジョン・ホークウッド騎馬像』(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、1436年)、アンドレア・デル・カスターニョの『ニッコロ・ダ・トレンティーノ騎馬像』(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、1456年)などがあげられる。15世紀半ば以降になると肖像画は一般的なジャンルとなり、当初は横顔、のちに斜め前を向いた胸から上の肖像画が多く描かれた。有力なパトロンが祭壇画やフレスコ画に描かれた場面の登場人物として描かれることもあり、ドメニコ・ギルランダイオフィレンツェのサンタ・トリニタ教会サセッティ礼拝堂 (en:Sassetti Chapel) のフレスコ画に描いた、フランチェスコ・サセッティ (en:Francesco Sassetti) とメディチ一族[注釈 2]が有名な人物像となっている。盛期ルネサンスのころには肖像画はますます多く描かれるようになっていき、ラファエロ、ティツィアーノら重要な画家が肖像画を制作し、マニエリスム期でもブロンズィーノといった画家が肖像画の名作を残している。ヴィーナスの誕生』(1486年頃)、ボッティチェッリ
ウフィツィ美術館フィレンツェ

ルネサンス人文主義の成熟とともに、画家たちが絵画作品に描く題材もギリシア・ローマ神話などの古典的なものになっていった。富裕なパトロンの私邸を飾るために描かれた作品にこの傾向は顕著で、メディチ家の一員ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ (en:Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici) の別荘カステッロ邸装飾絵画として描かれたボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』などが有名な作品である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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