ルドルフ・ヴァレンティノ
[Wikipedia|▼Menu]

ルドルフ・ヴァレンティノ
Rudolph Valentino

本名Rodolfo Alfonso Raffaello Piero Filiberto Guglielmi di Valentina d'Antoguolla
生年月日 (1895-05-06) 1895年5月6日
没年月日 (1926-08-23) 1926年8月23日(31歳没)
出生地 イタリア王国
プッリャ州
カステッラネータ
死没地 アメリカ合衆国
ニューヨーク州
ニューヨーク
国籍 イタリア
配偶者ジーン・アッカー(1919-1923)
ナターシャ・ランボヴァ(1923-1926)
テンプレートを表示

ルドルフ・ヴァレンティノ(Rudolph Valentino、本名:Rodolfo Alfonso Raffaello Piero Filiberto Guglielmi di Valentina d'Antoguolla、1895年5月6日 - 1926年8月23日)は、サイレント映画時代ハリウッドで活躍したイタリア出身の俳優である。
生涯

イタリア南部のプッリャ州カステッラネータでイタリア人の父親とフランス人の間に生まれた。父親は彼が11歳の時にマラリアで亡くなった[1][2][3]。15歳で軍隊に入ろうとするが、胸囲が1インチ足りず、身体検査で不合格となる。結果的にジェノヴァで農学を学んだ[4] が、後にフランスに渡りパリでダンサーとして働くようになった。

1913年に、友人の勧めによってアメリカニューヨークに渡る[5][6]。はじめは生活のために様々な仕事をしていたが、ボールルーム・ダンサーとしての仕事を得て[7]アルゼンチン・タンゴの名手として有名になった。当時、食事や踊りが楽しめるナイトスポットとして人気のあったNYのミュージックホール『マキシム』に専用のダンスルームを持ち、女性客相手のタクシー・ダンサーとして生計を立てていた[8]。のちに発砲事件に巻き込まれ、ニューヨークを離れる。これは、ルドルフのダンス・パートナーと不倫関係にあった男性が、彼自身の妻に撃たれるというものだった[9]

1917年にハリウッドに移り、映画『Alimony』にダンサーとして出演。その後数多くのサイレント映画に端役で出演。1919年には女優のジーン・アッカー(英語版)と結婚するも、彼女はレズビアンであり関係は長く続かなかった[2]

そんなある日、脚本家のジューン・マシス(英語版)の目に留まり、彼女の推挙によりレックス・イングラム監督の『黙示録の四騎士』にアルゼンチン人役で出演、一躍スターとなる[10][11]。それを見たアラ・ナジモヴァに気に入られ、彼女の主演作『椿姫』に相手役として出演。

彼の魅力はそのエキゾチックな容姿で、『シーク』ではアラブ系の族長を、『血と砂』ではスペイン人の闘牛士を、『荒鷲』ではロシア人の貴族を演じ、同時代のセックス・シンボルとして絶大な人気を誇った。当時、劇場に出かける女性の多くが「彼がスクリーンから見つめる」という理由で綺麗に化粧をしていったという。

1922年に『椿姫』の美術監督だったナターシャ・ランボヴァ(英語版)と再婚する。前妻との離婚が成立していなかったため重婚罪に問われ拘留されるが[12]、翌年に正式に結婚した[13]。しかし彼女は次第にルドルフの仕事に口出しをするようになり[14]、それが元でパラマウントと揉めて映画出演を2年間止められた。この間、ルドルフは化粧品会社に名前を貸したり、ダンスツアーを行なった。1925年にナターシャと離婚し、ポーランド出身の女優ポーラ・ネグリと交際を始める。安置されたヴァレンティノの遺体

1926年、胃潰瘍で突然倒れ直ちに手術が行われたものの、術後に腹膜炎を併発し31歳で死去[10][15]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:25 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef