ルドルフ・ジュリアーニ
[Wikipedia|▼Menu]

アメリカ合衆国政治家ルドルフ・ジュリアーニRudy Giuliani

生年月日 (1944-05-28) 1944年5月28日(77歳)
出生地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
ブルックリン
出身校マンハッタン大学
ニューヨーク大学・ロー・スクール
所属政党民主党( - 1975)
無所属(1975 - 1980)
共和党(1980 - )
称号ロナルド・レーガン自由賞
配偶者レジーナ・ペルージ(1968 - 1982)
ドナ・ハノーバー(1984 - 2002)
ジュディス・ネーサン(2003 - )
サイン
ニューヨーク
第107代市長
選挙区ニューヨーク
在任期間1994年1月1日 - 2001年12月31日
州知事マリオ・クオモ
ジョージ・パタキ
 ニューヨーク州
第53代南部地区連邦判事
在任期間1983年6月3日 - 1989年1月1日
州知事マリオ・クオモ
アメリカ合衆国
第3代司法次官
在任期間1981年2月20日 - 1983年6月3日
大統領ロナルド・レーガン
テンプレートを表示

ルドルフ・ウィリアム・ルイス・ジュリアーニ3世(英語:Rudolph William Louis "Rudy" Giuliani III、1944年5月28日 - )は、アメリカ合衆国の政治家、ニューヨーク州弁護士[1]

1994年1月1日から2001年12月31日まで第107代ニューヨーク市長を務め、凶悪犯罪の撲滅及び市の治安改善に大きな成果を挙げた。アメリカ同時多発テロ事件発生時にはジョージ・W・ブッシュ大統領と共にテロリズムとの闘いを宣言し、「世界の市長」と称賛された[2]通称はルディ、ルーディがある。2018年にドナルド・トランプ大統領の顧問弁護士になった[3]目次

1 経歴

1.1 生い立ち

1.2 検察官

1.3 ニューヨーク市長

1.3.1 治安改善

1.3.2 再開発

1.3.3 2000年上院議員選挙

1.3.4 同時多発テロ事件


1.4 市長退任後

1.5 2008年アメリカ合衆国大統領選挙

1.5.1 予備選・党員集会

1.5.2 政治的立場


1.6 ドナルド・トランプとの関係


2 人物

3 脚注

4 関連項目

5 外部リンク

経歴
生い立ち

1944年5月28日にニューヨーク州ニューヨークブルックリンに生まれる。両親はニューヨークに多いイタリア系移民の2世で、カトリック教徒だった。ジュリアーニ一族の中には警察官や消防士もいた。

ルドルフはマンハッタン・カレッジを準最優等で卒業し、次いで1968年ニューヨーク大学・ロー・スクールを準最優等で修了した。
検察官

ロー・スクール修了後はニューヨーク州南部地区連邦地裁で書記を務め、1970年に連邦検察官に任官する。その後は司法副次官・司法次官の首席補佐官などを歴任した。当時は民主党員として活動し、1972年アメリカ合衆国大統領選挙では民主党候補ジョージ・マクガヴァンを支持した。しかし、1975年共和党ジェラルド・R・フォード政権から司法次官補に抜擢され、民主党を離党する。1976年アメリカ合衆国大統領選挙でフォードが敗退した際はジュリアーニも司法省を退官し、弁護士生活に戻った。

1981年1月20日に共和党のロナルド・レーガン政権が発足すると、司法省のナンバー3に当たる司法次官に任命される。1983年にはニューヨーク南部管轄の連邦検事としてマフィア掃討作戦の陣頭指揮を取り、組織犯罪・薬物事件・経済事件などの対応・対策に取り組んだ。

検事時代には仕手筋のアイヴァン・ボウスキーと、「ジャンクボンドの王」と呼ばれた投資銀行家マイケル・ミルケンというウォール・ストリートの大物2人をインサイダー取引で告発し、その名を広く知られるようになる。他にもマーク・リッチなどの大物投資家をインサイダー取引で起訴した。暗黒街にもメスを入れ、ロナルド・レーガン政権が展開した撲滅作戦ではジュリアーニが検事として陣頭に立ち、当時「ニューヨークのファイブ・ファミリー」と呼ばれたマフィアの一掃作戦を始めた。そしてガンビーノ一家のボスであったポール・カステラーノなどファミリーのボスたちを次々と起訴し、有罪に持ち込んだ。

ジュリアーニは事件の度にメディアに登場し、知名度が上昇した。1989年には共和党からニューヨーク市長選挙に立候補したが、この時には民主党候補のデイヴィッド・ディンキンズに僅差で敗れた。
ニューヨーク市長
治安改善

1993年に再び市長選挙に立候補し、前回敗れた現職のディンキンズを破って当選を果たす。

治安の回復を目標に掲げ、ニューヨーク市警察のトップにウィリアム・ブラットンを据えて「割れ窓理論」を用いて犯罪率の減少に取り組んだ。RICO法に基づき、マフィアのトップを重点的に取り締まった。検事時代と同じように、まずイタリアン・マフィアをターゲットにしてトップらを逮捕した。その後、その代わりに台頭する中国ベトナムカンボジアイランなどのマフィア対策を各国別に練り、頂上作戦を展開して大きな成果を上げた。警官を大幅に増やし、マフィアの温床となるセックスビジネスの撲滅作戦に乗り出すなど様々な手を打ち、ニューヨークの安全化に務めた。汚職警官を次々と告発・追放するなど、一時はマフィアより汚いとされていた警官の規律を正した。各辻には警官が立つようになり、ハーレムの名物や出店も一掃される。風紀を正すため所々で火を噴いていたタクシーは新型車両に交換した。

実際に犯罪率を半減させて全国水準より低く抑えることに成功したことから、その目標は一般には達成されたと評価されている。これによりニューヨーク市は全米でも最も安全な大都市となったとされ、ニューヨーク市を浄化した市長として名声を博した。なおギネスブックにおいても「最も多く犯罪率を削減させた市長」としてノミネートされている。

一方で検挙率の向上が市警察においては重要な課題となり、特にマイノリティ層を中心として市民的権利が警察により時に侵害されたとの批判もある。有名なケースとしては、白人警察官らが武器を携帯していなかったアフリカ系移民のアマドゥ・ディアロを指名手配犯と誤認して41発もの弾丸を撃ち込み射殺した事件で、市警察の暴力や人種差別に対して聖職者や芸能界などの著名人も参加する大規模な抗議デモに発展した。その強権的な手法に批判的な市民や人権団体などから、名前のルドルフとかけて「ジュリアーニはアドルフ・ヒトラーだ」[4]、イタリア系アメリカ人のジュリアーニの苗字をファシズム理論を構築した独裁者ベニート・ムッソリーニに絡めて「マンハッタンのムッソリーニ」などの声が上がった[5]
再開発

ジュリアーニがニューヨーク市の治安回復と共に力を入れたのは中心部の再開発であった。タイムズスクエアは長い間危険な場所と認識されていたが、犯罪が減少するにつれてその利便性が見直された。同地の再開発は積極的に推進され、観光客・家族などを中心とする一般消費者が深夜まで安全に訪れることのできるエリアとなった。ディズニーMTVスタジオ・ABCスタジオなどが同地に移転し、この試みは一応の成功を収めている。またジュリアーニは自身でもラジオ番組を持ち、広報活動のために出演した。安全化によって観光客は増加し、税収がアップしたことでアメリカ経済にも好影響を与えた。1997年にニューヨークを訪れた人々が使った金額は137億ドルに上り、ここから7億1000万ドルの税収がニューヨークにもたらされている。

一方でマンハッタンに新しい野球場を建設する計画は頓挫した。
2000年上院議員選挙

1999年4月に市長としての高い支持率を背景に、翌年上院議員選挙にニューヨーク州から出馬することを正式に表明する。民主党はヒラリー・クリントンを投入し、名物市長とファーストレディという異例の顔合わせのもと、1年に渡り激しい舌戦が繰り広げられる。ところが、全米の注目を集める最中にジュリアーニの不倫が発覚。翌年5月、妻との離婚を発表し、程無くして前立腺がんを理由に選挙戦から撤退した。
同時多発テロ事件

ニューヨーク市政においては犯罪対策などで成果を上げていたジュリアーニだが、新野球場建設計画の中止や上記の不倫スキャンダル及び自身の健康問題による国政進出の失敗もあって、2001年までは必ずしも全米で高い人気を博していた訳では無かった。しかし2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件は、ジュリアーニを巡る環境を一変させる。

同事件でニューヨーク市のワールド・トレード・センターがハイジャックされた2機の旅客機から突入されると、さらなるテロの防止に奔走し、高い危機管理能力を発揮した。この際、ジョージ・W・ブッシュが大統領であることを神に感謝すると述べた[6]。またアメリカの市長としては初めて国際連合で演説し、各国にテロ対策を呼びかけるなど、全米のみならず世界からの賞賛を集めた。タイム誌によって2001年の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選出され、2002年2月13日イギリス女王エリザベス2世からナイトの称号を授けられた。同年にはロナルド・レーガン自由賞も受賞している。
市長退任後

市長退任後にジュリアーニはコンサルティング会社ジュリアーニ・パートナーズを設立し、同社のCEOを務める。

2004年アメリカ合衆国大統領選挙では現職のジョージ・W・ブッシュ大統領の再選を強力に支持して共和党大会での演説は好評を博し、加えて活発にジョージ・W・ブッシュへの支持を呼びかける遊説を行うなど、ジョージ・W・ブッシュ陣営のキャンペーンに多大の貢献をもたらした[7][8]。このような動きの中でジュリアーニは全米における認知度を高め、一躍次期大統領の有力候補となっていく。
2008年アメリカ合衆国大統領選挙「2008年アメリカ合衆国大統領選挙」も参照


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:76 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef