ルツク
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ルーツィク
Луцьк


市旗市章

位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯50度44分52秒 東経25度19分28秒 / 北緯50.74778度 東経25.32444度 / 50.74778; 25.32444
歴史
市制施行1085年
行政
 ウクライナ
 州ヴォルィーニ州
 地区ルーツィク地区
 市ルーツィク
地理
面積 
  市域41.6 km2
標高181 m
人口
人口(2022年1月1日現在)
  市域215986[1]
    人口密度  5192.0人/km2
その他
郵便番号43000-499
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団体コード:710100000

公式ウェブサイト : ⇒公式サイト

ルーツィク(ウクライナ語: Луцьк)はウクライナヴォルィーニ州ルーツィク地区にある都市ヴォルィーニ州州庁所在地である。スティール川の河岸に位置する。都市の高さは海抜181 mである。面積は41.6 km2。人口は215,986人 (2022年1月1日)[1]

ルーツィクは1000年に創建された。1432年に自治権を獲得した。1085年に市制施行された。

市内ではルーツィク駅がある。首都キエフまでの直線距離は370 kmであるが、鉄道で469 km、車道で388 kmとなっている。ルーツィクの日は、8月の第三の日曜日となっている。
語源

由来は不明。「弓の町」か「ルーカの町」を意味していると言われる。「弓」(ウクライナ語:ルーク)は、市内の北西の境を決めるスティール川の湾曲線のことである。「ルーカ」は、古代における現地の東スラヴ族の一つ、ドゥリーブィ族の頭領の名である。
地理

ルーツィクは、ヴォルィーニ州の東南部に位置する。北と西ではスティール川、南はフルーシェツィ川が流れているが、東は湿地が広がっている。
歴史

9世紀 - 10世紀:
東スラブ族の一つ、ドゥリーブィ族の根拠地。

1000年ヴォロディーメル1世ヴォルィーニ地方をキエフ大公国に統合し、ルーツィク要塞を築城する。ルーツィク城下町が発達する。

1058年:『ルーシ年代記』で初めて登場する。ルーツィク要塞はボレスワフ1世が率いるポーランド勢による6ヶ月間の包囲に持ち堪える。

1154年ヴォルィーニ公国からルーツィク公国が分離。

1227年ハールィチ・ヴォルィーニ大公国大公ダヌィーロ1世のものとなる。

1240年モンゴルのルーシ侵攻。城下町はモンゴル人によって略奪されるが、ルーツィク要塞は落城しなかった。

1259年:ルーツィク要塞は再びモンゴル人の包囲に持ち堪える。

1340年:ハールィチ・ヴォルィーニ大公国の臨時首都となる。ルーツィク城が築城される。

1388年 - 1430年リトアニア大公国領となり、ビリニュスに次ぐリトアニアの大公座となる。

1429年:ルーツィク城では、オスマン帝国対策をめぐる東ヨーロッパの諸君主の会議が行われる。

1432年:自治権が下賜される。

15世紀半ば:ルーツィク城が衰退するが、城下町はヴォルィーニ地方の中心地として居続ける。

1569年:ポーランド王国の領土となり、当王国のヴォルィーニ県の中央都市となる。

1596年ウクライナ・コサックによって占領される。

1648年:フメルヌィーツクィイの乱中、ウクライナ・コサックによって略奪される。

17世紀後半 - 18世紀:城下町が衰退する。

1705年スウェーデン軍によって一時的に占領される。

1795年ロシア帝国の領土となる。

1895年鉄道が開通する。

1915年第一次世界大戦中、オーストリアとロシアの間の戦場となる。

1917年ウクライナ人民共和国の領土となる。

1919年ポーランド軍によって略奪される。

1921年ポーランド・ソビエト・リガ平和条約によってポーランドの領土となる。新たに設立したヴォルィーニ県の中央都市となる。

1939年ソ連軍によって占領され、ヴォルィーニ州の州庁所在地となる。

1941年ドイツ軍の占領下に置かれる。その直前、ソ連秘密警察によって3千人の市民が殺害される。

1942年:反独・反ソのウクライナ蜂起軍のゲリラ組織が成立し、軍の部隊が市周辺で活躍する。

1944年:ソ連軍によって占領される。

1991年:ウクライナが独立する。市は、ヴォルィーニ州の州庁所在地となる。

人口

2001年:208,800人[2]

ウクライナ人は約92.5%、その他は6.5%。

母語:ウクライナ語は約97%、ロシア語は3%以下

男性は46%、女性は54%


2022年:215,986人[1]

姉妹都市

ブレストベラルーシ

ジェシュフポーランド

ルブリンポーランド

オルシュティンポーランド


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