ルツェルン
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ルツェルン
Luzern
Lucerne


ピラトゥス山から見たルツェルンの街


基礎自治体

位置

ルツェルンの位置
位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯47度3分0秒 東経8度18分0秒 / 北緯47.05000度 東経8.30000度 / 47.05000; 8.30000
歴史
市民が行政権を獲得1178年
行政
スイス
 Wappen des Kantons Luzernルツェルン州
 区ルツェルン区(英語版)
 基礎自治体ルツェルン
政府主席ギド・グラーフ(ドイツ語版)
地理
面積 
  基礎自治体域29.06 km2
標高436 m
人口
人口2016年12月31日現在)
  基礎自治体域81,592[1]
    人口密度  2,808人/km2
その他
等時帯中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号6000?6009
市外局番1061
公式ウェブサイト : ⇒http://www.luzern.ch/

ルツェルン(標準ドイツ語: Luzern[lu?ts?rn] ( 音声ファイル)、アレマン語: Lozarn、フランス語:Lucerne、英語:Lucerne)は、スイス中部のルツェルン州に属する基礎自治体(アインヴォーナーゲマインデ)で、同州の州都。ルツェルン湖(Vierwaldstattersee)の湖畔に位置し、ピラトゥス山リギ山を臨む場所に位置する。

ドイツ語圏に属するが、現地のスイスドイツ語(アレマン語)では「ロツェルン」(Lozarn)と呼ばれる。また、現在の標準ドイツ語では「ルツェアン」とも発音される。

毎年8月から9月にルツェルン音楽祭が行われることでも知られる。

FCルツェルンの本拠地がある。
歴史

ルツェルンの創建については公式の記録はないが、ローマ時代、またはそれ以前には小さな集落があったと考えられている。8世紀にサン・レオデガー修道院が創建され、840年に"Luciaria" という名前が記録されている。その後、ロイス橋周辺で市(いち)がたつようになったが、現在の歴史家は行政権が修道院から市民の手に渡った1178年がルツェルンの誕生した年と見ている。

13世紀にゴッタルド峠を越える道が開通したことにより、ルツェルンは重要な交易地となった。当時アルザスのムルバッハ修道院がサン・レオデガー修道院を所有していたが、1291年にハプスブルク家のルドルフが諸権利を買い取ったため、ルツェルンの自治が圧迫されてきた。

そのため、ルツェルンは近接するウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの原初三邦に接近し、1332年に同盟を成立させた。この1332年という年は、都市の住民と農村の住民が手を携えたという点で、スイスの歴史においても大きな意味を持つ。

ルツェルン周辺地域の支配強化を試みたハプスブルク家に対し、ルツェルンと原初三邦は1386年のゼンパッハの戦いでハプスブルク家の軍隊を打ち破った。以後ハプスブルク家はスイス内の領地を次々に失い、ルツェルンはスイス建国の歴史に大きな役割を果たした町としてその名を刻むことになる。1408年に完成したムゼック市壁は、スイスで最も大きく、保存状態の良い市壁である。

2007年6月17日、隣接自治体のリタウ(英語版)で住民投票が行われ、2010年1月1日にルツェルンへ吸収合併することが合意された。吸収合併によりルツェルンは人口約79,000人(当時)となり、スイスで7番目の都市となった。

2021年冬季ユニバーシアードの開催地。
宗教

2012年の調査では、キリスト教が73% (カトリック教会55% 、プロテスタント13%、他のキリスト教諸派5%)、イスラム教が4%、その他の宗教が4%、不明が19%となっている[2]
観光カペル橋イエズス教会ホーフ教会

スイス中央に位置するルツェルンは、フィアヴァルトシュテッテ湖(ルツェルン湖)とピラトゥス山リギ山に囲まれたスイス有数の観光都市である。チューリヒインターラーケンを結ぶ幹線上にあり、ロイス川が流れる町中は見どころも多い。


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