ルッジェーロ1世_(シチリア伯)
[Wikipedia|▼Menu]

ルッジェーロ1世
Ruggero I
シチリア伯

在位1072年 - 1101年

出生1031年
ノルマンディー公領
死去1101年6月22日
シチリア伯領、ミレート
埋葬 シチリア伯領、ミレートベネディクト会修道院
配偶者ジュディット・デヴルー
 エランブルジュ・ド・モルタン
 アデライデ・デル・ヴァスト
子女一覧参照
家名オートヴィル家
父親タンクレード・ド・オートヴィル
母親フレデゼンド
テンプレートを表示

ルッジェーロ1世(Ruggero I, 1031年 - 1101年6月22日)は、シチリア伯。タンクレード・ド・オートヴィルの子で、ロベルト・イル・グイスカルドの弟。初代シチリアルッジェーロ2世の父親。

1055年以後、南イタリアに来る。兄ロベルトに従い、南イタリア、シチリアを征服する。1061年には兄弟はメッシーナからレッジョ・ディ・カラブリアまでを征服するに到った。1072年パレルモを落とした[1]後、ロベルトからシチリア伯に任じられる。

1085年、ロベルトの死後オートヴィル家の首領となり、シチリアの支配を固め、半ば自立する。1101年に亡くなった頃には、シチリアの大伯爵と呼ばれた。

ルッジェーロの支配下にはギリシア人アラブ人も多くおり、宗教についても寛容だった。
生涯
カラブリア・シチリア征服

ルッジェーロはノルマンディー公国の小貴族タンクレード・ド・オートヴィルと彼の2番目の妻フレデゼンドとの間の末息子であった[2]。ルッジェーロは1057年の夏ごろに南イタリアに辿り着いた[3]ベネディクト会の僧侶ゴッフレード・マラテッラ(en)はルッジェーロのことを下のように記している。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}彼は非常に美しく、背が高く、優雅な体型をしており、言葉が最も雄弁で、助言においては冷静な若者であった。彼はすべての行動を計画する上で先見の明があり、人付き合いはすべて楽しくて陽気であった。強くて勇敢で、戦いにおいては激しかった。

1057年、ルッジェーロは兄ロベルト・イル・グイスカルドと共にレッジョを除くカラブリアの大半を征服した[3]。この頃のルッジェーロはスカレーア地方のコゼンツァ周辺の城で山賊のような生活をしていたという[3]。1062年、ルッジェーロは兄ロベルトと交渉し、征服したカラブリアを折半して統治することとし、彼らはそれぞれがカラブリア内の半分の城と半分の村を支配した[4]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:45 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef