この項目では、20世紀イタリアの作曲家について説明しています。19世紀ベルギーの作曲家・ヴァイオリニストについては「シャルル=オーギュスト・ド・ベリオ」をご覧ください。
ルチアーノ・ベリオ
基本情報
生誕 (1925-10-24) 1925年10月24日
出身地 イタリア王国、オネリア
死没 (2003-05-27) 2003年5月27日(77歳没)
ジャンル現代音楽
職業作曲家
ルチアーノ・ベリオ(Luciano Berio, 1925年10月24日 - 2003年5月27日)は、イタリアの現代音楽の作曲家。 自作の指揮なども手がけている。発音に近いのはルチャーノだが、日本語では「ルチアーノ」とかかれることが多い。ジュリアード音学院教授、サンタ・チェチーリア国立アカデミア学長を歴任した。 代々音楽家の家系としてオネリア(現在はインペリアの一部)に生まれた。父、祖父はともにオルガニスト兼作曲家であり、ピアノや和声法などを彼らから学んだ。19歳の時に軍隊に徴集されたが、銃の暴発により右手を負傷し、ピアノ・クラリネット奏者としての道を絶たれてしまう。作曲に集中することにした彼は、1947年に作曲したピアノ曲《小組曲 Petite Suite》でデビューする。当初は、バルトークやストラヴィンスキーなどの影響が色濃く見られていたが、やがてミュージック・セリエルに関心を示すようになった。 1950年には声楽家のキャシー・バーベリアンと結婚し、以後多くの曲が彼女のために書かれることになる[1]。1952年には、渡航先のアメリカで電子音楽に接し、翌年、テープ音楽《ミムジーク第1番 Mimusique No. 1》を制作した。この分野においては、1960年代はじめまでのおよそ10年間に、《テーマ ジョイス賛 Thema (Omaggiio a Joyce)》(1958)、《ヴィザージュ Visage》(1961)や、5人の奏者とテープによる《ディファレンス(差異) Differences》(1959)といった、電子音楽史に名を残す作品が生まれている。 50年代終わりからは、独奏楽器、および声の入る作品に集中し始める。前者の代表としては、1958年から2002年までに14作書かれた《セクエンツァ Sequenza》シリーズや、ピアノのために書かれた4曲の《鍵盤》シリーズなどである。《パッサッジョ Passagio》(1961-62)、《シンフォニア Sinfonia》(1968-69)、《コロ(合唱) Coro》(1975-76)などの、重唱あるいは合唱が加わる大作が続々と生み出されていく。《パッサッジョ》や《シンフォニア》においては、多数の作曲家の音楽が引用され、《コロ》においては、さまざまな民族の詞が織り交ぜられている。 70年代にはいると、劇場のための作品「オペラ」に取り組み、この作品を失敗作と認識したことで、余計にオペラ的な音楽の追求に取り組むことになる。しかし、彼は伝統的に「オペラ」と呼ばず、「ミュージック・シアター」とあえて呼び、「音楽が演劇を支配する」新しいタイプの劇を模索するようになる。その最初の成功例は「本当の話」(真実の物語)ではあるが、劇場に対する拘りは最晩年まで持続した。 80年代後半からは、編曲や補作の仕事によっても世に知られていく。
目次
1 経歴
1.1 1950年代まで
1.2 1960年代まで
1.3 1970年代まで
1.4 1980年代まで
1.5 1990年代以降
2 作風
3 家族
4 日本語で遺された言葉
5 主要作品
5.1 協奏曲
5.2 管弦楽曲
5.3 セクエンツァ
5.4 シュマン
5.5 室内楽
5.6 鍵盤作品
5.7 声楽を用いた曲
5.8 電子音楽
5.9 劇場のための音楽
5.10 ミュージックシアター
6 参考文献
7 脚注
8 外部リンク
経歴
1950年代まで
1960年代まで
1970年代まで
1980年代まで
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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