ルター聖書
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ルタ―聖書(1534年)

ルター聖書(独:Lutherbibel)は、マルティン・ルターによるヘブライ語及び古典ギリシア語からの旧約聖書新約聖書ドイツ語訳である。まず、ルターは独力で新約聖書の翻訳を行ったが、旧約聖書の翻訳に際してはカスパール・アクィラら複数の専門家から助言を受けた。新約聖書の翻訳に於いては特にヴルガータの影響が強く感じられる。『翻訳に関する書簡』の中でルターは、自分の翻訳原則についての釈明を行っている。(当時の読者にとっての)流麗な翻訳を志した一方、聖書の文面が格別深い意味を表しているように見える部分では、すべて直訳がなされたというのである。

ルターはその死に至るまで自ら訳稿を改稿し、またそれぞれの版に序文を付した。ルターの死後、ルター聖書のテクストは出版社の恣意に任されるようになった。これは何よりもまず正書法に関することであるが、それだけではなかった。19世紀後半になって初めてテクストは統一を経験することになった。ますますルターの明らかな誤訳が目に付くようになったのである。誤訳はルターが古典古代世界や古代オリエント世界について専門知識を欠いていたことによるものであった(例えば、飼兎、ユニコーンツゲの木など、動物学的、植物学的に言ってオリエントにとって一般的ではないもの)。しかし、とりわけ重要なのはテクストの基礎が一変してしまったことである。ルターはいわゆるテクストゥス・レセプトゥスをもとに翻訳を行っていた。これは、ビザンツ帝国時代に統一されたものであり非常に普及していた新約聖書のテクストであった。これに対して、テクスト・クリティークによってより古い時代からの多数のパピルス断片が集積、評価されたのである。これらは部分的には別のテクストを提示するものであった。決定的かつ学問的な新約聖書のテクストであるネストレ・アーラントには、これらのパピルス断片を参照した上で起草された古代の写本にはまったく拠らない混合テクストが含まれている。こうした学問的なテクストは重要な現代聖書翻訳の基盤となっている。にも拘らず、テクストクリティークをまったく拒絶し、伝承テクストの文面を霊感に満ちたものと見做す諸グループも存在する。

1975年の修正ではこの問題についてはもはや触れられず、代わってルター聖書を現代語の慣用に近づけることが図られた。例えば、「光をシェッフェルの下には置かない/新共同訳:ともし火をともして升の下に置くものはいない」(マタイ5.15)という諺的な言葉は削除された。穀物の計量器としての「シェッフェル(大きな桶)」はもう知られていないからである。代替として「アイマー(バケツ)」が用いられたため、1975年の翻訳は「アイマー聖書(バケツ聖書)」の名前を持つことになった。しかしながら1975年版テクストは、クリスマスの挿話の部分に於いて多くの読者が暗記するほど愛好していた文面に介入してしまったため、最終版として成功することはなかった。この事情は同時に、なぜ1984年の修正があれほど成功したのかについても教えてくれる。1984年版は、よく知られていない箇所では学問的厳密さに拘ってルターの文面から隔たっており、装飾過剰な構文を解消してしまっているのだが、クリスマス挿話その他の愛好されてきたテクストには一切手をつけていないのである。
ルター訳の成立過程

ヴォルムス帝国議会からヴィッテンベルクへの帰路、誤ってザクセン選帝侯フリードリヒ賢公のものであると考えられている誘いによって、ヴァルトブルクに招かれた後、当地で「ユンカー・イェルク(Junker Jorg)」として潜伏しつつルターは聖書翻訳を開始した。1522年9月には翻訳が完了した新約聖書が大版で印刷された(「9月聖書」)が、既に同年12月にはテクストが改稿され挿絵も訂正されている。その後数年に渡ってこの聖書は少しずつ拡張され、改稿されていった。

1524年10月にはモーセ五書・歴史書・詩書が完成され、おそらくは1526年3月ヨナ書1526年6月ハバクク書1528年1月ゼカリヤ書、1528年10月にイザヤ書が完成している。

1529年、新約聖書が基礎から校正され、1530年には最終的な編集が行われた。諸書への取り組みはさらに進み、同時に注釈作成も行われた。1529年6月にはソロモンの知恵が、1530年4月にはダニエル書が浩瀚な注釈付の序言と共に完成され、同年6月にはエゼキエル書の注釈付きの38章・39章が成立した。1531年には詩篇が新たに最終的な形で作成された。

1532年3月、ハンス・ルフトは預言書を印刷した。翌年の1月にはシラの書が、その後すぐに第一マカバイ記が、スザンナとダニエルの話及びベルと竜の話が補われて、ルターによる第2版として完成された。

1533年には、完全版への直接的な準備があり、そこでは旧約聖書のモーセ五書・歴史書・詩書、中でも創世記のさらなる校正が行われた。1534年の10月4日から11日にかけてはミカエル・ミサが開催されていたが、そこで900枚の未製本の完全原稿が6部構成でそれぞれにタイトルページとページ番号が付いた形で登場した。


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