ルクセンブルク家
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2019年7月)
ルクセンブルク家の紋章

ルクセンブルク家(ルクセンブルクけ、:Haus Luxemburg, :Maison de Luxembourg, チェコ語:Lucemburkove)は、現在のルクセンブルク市を発祥とした中世ヨーロッパの貴族、王家。現在のルクセンブルク大公家であるナッサウ=ヴァイルブルク家(ルクセンブルク家ともいう)と直接のつながりはないが、婚姻関係を通じてはつながりはある(後述)。

ルクセンブルク家と言っても同じ男系が続いたわけではなく、ルクセンブルク=アルデンヌ家ザルム=アルデンヌ家とも)、ナミュール=ルクセンブルク家、リンブルク=ルクセンブルク家の3家に分けられる。ルクセンブルク家は3家の総称でもあるが、特に神聖ローマ皇帝やボヘミア王を出した最後の家系を指す場合が多い。
歴史「ルクセンブルク家のドイツ・イタリア政策」および「ルクセンブルク家によるボヘミア統治」も参照

963年アルデンヌ伯ジークフリートがこの地にあったルクセンブルク城を本拠地に定め、その子孫が11世紀にルクセンブルク伯の位を神聖ローマ皇帝から与えられた。神聖ローマ帝国の域内とはいえ、フランスにも近かったため、ルクセンブルク伯はフランス王の封建家臣にもなっていた。1081年には、ルクセンブルク伯家出身のザルム伯ヘルマンが、皇帝ハインリヒ4世対立王に選出されている。

大空位時代の後、皇帝権力の強化を望まないドイツ諸侯は、当時は弱小な伯爵家に過ぎなかったハプスブルク家ナッサウ家から皇帝を選出した。1308年、帝国諸侯でありながらフランス王の封臣でもあったルクセンブルク伯ハインリヒ7世が擁立されたのも、同じ事情からだった。しかしハインリヒ7世は優れた人物で、1309年にはスイスの一部を領有し、翌年には息子ヨハンボヘミア王ヴァーツラフ3世の妹エリシュカ(アルジュビェタ)との縁組により同国の王位を獲得するなど、自家の領土を短期間のうちに拡大させた。また、弟バルドゥインはハインリヒの皇帝選出に先立つ1307年選帝侯の一人であるトリーア大司教となっており、兄ハインリヒやその孫カールの皇帝選出に貢献している。こうして、ルクセンブルク家はドイツにおける最有力の勢力となった。カール4世の頃の神聖ローマ帝国の勢力図.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  ハプスブルク家  ルクセンブルク家  ヴィッテルスバッハ家

ボヘミア王となったヨハンは皇帝には選出されなかったが名将として知られており、ヨハンの息子カール(カール4世)は1346年に皇帝に選出され、ボヘミア王とルクセンブルク伯も継承した。カール4世は金印勅書を発布して帝国の混乱を収拾する一方、自家の勢力拡大と帝位の世襲化にも努めた。なお、ルクセンブルク伯位はカール4世から弟ヴェンツェル1世に譲られた後、1354年にルクセンブルク公へと格上げされ、カールの息子ヴェンツェル(2世)に継承された。

カール4世の後は2人の息子ヴェンツェルジギスムントが皇帝、ボヘミア王、ルクセンブルク公、さらにブランデンブルク選帝侯を継承する。しかしいずれも凡庸な人物で、代々の無理な拡大政策もたたってドイツやボヘミアの諸侯の離反を招き、さらに一族内でも対立を起こして権力を失っていく。ジギスムントはハンガリー王位を獲得する一方、ブランデンブルク選帝侯位をホーエンツォレルン家に譲っている。ヴェンツェル、ジギスムントとも男子がなく、ヨープストら傍系にも男子の後継者がいなかったためにルクセンブルク家は断絶し、同家の有していた所領や位の多くは、やがてジギスムントの娘婿であるアルブレヒト2世らを経てハプスブルク家が獲得することとなった。ルクセンブルク公領も例外でなく、一族のエリーザベト・フォン・ゲルリッツからブルゴーニュフィリップ善良公へ渡った後、ヴァロワ=ブルゴーニュ家の断絶と共にハプスブルク家が継承した。

ただし、ルクセンブルク伯ハインリヒ6世(ハインリヒ7世の父)の弟であるワレラン1世を祖とする分家(リュクサンブール=リニー家)は本家が絶えた後も存続しており、この家系出身のリニー伯ジャン2世・ド・リュクサンブールジャンヌ・ダルクを捕縛監禁したことで知られる。最後の当主であるサン=ポル伯ピエール2世・ド・リュクサンブールが男子を残さず死去したことにより、ルクセンブルク家は完全に断絶するが、姻戚関係を通して分家はなおも存続、17世紀フランソワ・アンリ・ド・モンモランシーはリュクサンブール・ピネー家の女性と結婚してリュクサンブール=ピネー=モンモランシー家を創設、子孫はモンモランシー公も継承して20世紀まで続いた。

ピエール2世の娘マリー・ド・リュクサンブールブルボン家分家のヴァンドーム伯フランソワに嫁いでいるが、フランス王アンリ4世はその曾孫である。アンリ4世はまた、ボヘミア王ヨハンの娘ボンヌがフランス王ジャン2世との間にもうけた子のうち少なくとも2人(シャルル5世シャルル悪人王の妃ジャンヌ)を通じて、ルクセンブルク家本流とも血のつながりがある。


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