ルクセンブルク大公
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ルクセンブルク
大公
ドイツ語:Grosherzog von Luxemburg
ルクセンブルク語:Groussherzog vu Letzebuerg
フランス語:Grand-duc de Luxembourg
在位中の大公

アンリ
2000年10月7日 (2000-10-07)より
詳細
敬称殿下
法定推定相続人ギヨーム大公世子
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ギヨーム1世(1815年)(同君連合

アドルフ1890年以降)

成立1815年3月15日
宮殿ルクセンブルク大公宮
ウェブサイト ⇒Monarchie.lu (フランス語)
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ルクセンブルク大公(ルクセンブルクたいこう、ドイツ語: Grosherzog von Luxemburg、ルクセンブルク語: Groussherzog vu Letzebuerg、フランス語: Grand-duc de Luxembourg)は、ルクセンブルク大公国君主大公)で国家元首である。
概要

1815年の成立当初、ルクセンブルク大公国はオラニエ=ナッサウ家オランダ国王が大公を兼ねる同君連合下にあり、事実上ネーデルラント連合王国(現在のベルギーを含む)の州の一つだった。しかし、1839年にベルギーが独立した際、オランダ本土と分断された上に大公国の西半分がベルギー領(リュクサンブール州)として分割された。以後、独立国家としてのルクセンブルクの体制作りが始まった。

1890年に第3代のオランダ国王兼ルクセンブルク大公ウィレム3世(ギヨーム3世)が没した際、オランダ王位はウィルヘルミナ女王が継いだが、ルクセンブルクには女子の相続権に関する規定がなかったため、サリカ法を採るナッサウ家の家法に基づいてナッサウ=ヴァイルブルク家のアドルフオランダ総督オラニエ公ウィレム4世の玄孫、プロイセン王国に併合されたナッサウ公国の元君主)が大公に即位することとなり、オランダとの同君連合が解消された。

ところが、アドルフの息子ギヨーム4世の代になって、ナッソー=ヴェイユブール家(ナッサウ=ヴァイルブルク家)でも男子の継承者が途絶えた。結局、女子の継承を可能とする法改正が行われ、マリー=アデライードシャルロットの姉妹が相次いで大公位を継承した。シャルロットは家名をリュクサンブール家(ルクセンブルク家)と変えたが、ナッソー=ヴェイユブールの家名は現在でも用いられる。

ルクセンブルクは立憲君主制が確立されているものの、大公は儀礼的な職務のみでなく、内閣とともに行政権を執行する職能を与えられている。
憲法上の役割

ルクセンブルク憲法(英語版)は大公の地位を以下のように規定している。大公は国家の元首、その統合の象徴、そして国家の独立の保証人である。大公は国の憲法と法律に従って行政権を行使する[1]

安楽死を合法化する法律にアンリが裁可を拒否したことによって2008年12月に憲法(第34条)が改正された後、法律はもはや大公の正式な裁可(英語版)(「承認」を意味する)を必要としなくなったが[2]、最高責任者として法律を公布するという大公の職務は残っている。
報酬

大公は給与を受け取らないが、王室は年間30万金フラン(28万1千ユーロ)を大公の職務のために受け取る[3]。2017年、ルクセンブルク予算は大公の家計費のために1千10万ユーロを計上した[4]
正式な称号

大公の伝統的な尊称は「神の恩寵による(英語版)、ルクセンブルク大公、ナッサウ公ライン宮中伯ザインケーニヒシュタインカッツェンエルンボーゲン、およびディーツ伯、ハンマーシュタイン(英語版)城伯、マールベルク(英語版)、ヴィースバーデンイトシュタインメレンベルク、リンブルク(英語版)、およびエップシュタインの領主」である。しかしながら、多くの称号はサリカ相続の厳格な規定にかかわらず保持されており、ルクセンブルク大公とナッサウ公を除いては、そのほとんどが全く使用されていないことに注意しなければならない。
大公の一覧「ルクセンブルク大公位継承順位」も参照

ナッソー=ヴェイユブール家の大公はフランス語名で呼ぶのが通例となっているが、ギヨーム4世のみは、オランダ王を兼ねたウィレム1世から3世にならってオランダ語名で呼ぶ場合もある。ここでは全員についてフランス語名で記した上で、オランダ語名を括弧内に併記しておく。


オランジュ=ナッソー家 
代大公家系在位期間備考
1
ギヨーム1世
(ウィレム1世)
オランジュ=ナッソー家1815年3月15日
- 1840年10月7日7001250000000000000?25年 + 206日オランダ国王
オラニエ公ウィレム5世の次男
2ギヨーム2世
(ウィレム2世)
オランジュ=ナッソー家1840年10月7日
- 1849年3月7日7000800000000000000?8年 + 151日オランダ国王
ギヨーム1世の長男
3ギヨーム3世
(ウィレム3世)
オランジュ=ナッソー家1849年3月7日
- 1890年11月23日7001410000000000000?41年 + 261日オランダ国王
ギヨーム2世の長男

ナッソー=ヴェイユブール家/リュクサンブール家 
代大公家系在位期間備考
4
アドルフナッソー=ヴェイユブール家1890年11月23日
- 1905年11月17日7001140000000000000?14年 + 359日ナッサウ公
オラニエ公ウィレム4世の玄孫
5ギヨーム4世
(ウィレム4世)
ナッソー=ヴェイユブール家1905年11月17日
- 1912年2月25日7000600000000000000?6年 + 100日アドルフの長男
6マリー=アデライードナッソー=ヴェイユブール家1912年2月25日
- 1919年1月14日7000600000000000000?6年 + 323日ギヨーム4世の長女
退位


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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