ルイ3世_(西フランク王)
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ルードヴィヒ3世/ルイ3世
Ludwig III/Louis III
西フランク国王
左がルイ3世、右はカルロマン2世
シャルル・ド・スチューベン (1788?1856)画
在位879年 - 882年

出生863年8月23日

死去882年8月5日
サン=ドニ
埋葬サン=ドニ大聖堂
家名カロリング家
王朝カロリング朝
父親ルイ2世
母親アンスガルド・ド・ブルゴーニュ
宗教ローマ・カトリック
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ルイ3世(フランス語:Louis III, ドイツ語ではルートヴィヒ3世Ludwig III., 863年 - 882年8月5日)は、西フランク王国カロリング朝)の国王(在位:879年 - 882年)。ルイ2世(吃音王)と最初の妃アンスガルドの長男。
生涯

879年、父王ルイ2世の崩御をうけ、弟カルロマン2世とともに王位に即いた。何人かの貴族はルイ3世を単独の王とすべきだと主張したが、結局ルイ3世とカルロマン2世がともに王に選出された。その正当性に疑問も投げかけられたものの2人の即位は承認され、彼らは880年3月にアミアンで父の遺領を分割した。ルイ3世はネウストリアを相続した。

しかしプロヴァンス公ボソは2人に対する忠誠を拒否し、プロヴァンス王に選ばれた。880年の夏、ルイ3世とカルロマン2世はボソに対して兵を動かし、マコンとボソの領地の北部を奪った。さらに2人は8月から11月にかけて東フランク王カール3世とともにヴィエンヌを包囲したが、失敗した。

881年、ルイ3世はソクール=アン=ヴィムー(Saucourt-en-Vimeu)でノルマン人を破った。

ルイ3世は882年8月5日にサン=ドニにおいて、狩猟中の事故が原因で崩御した。彼には嗣子がなく、カルロマン2世が単独の王となった。
脚注[脚注の使い方]
参考文献
関連項目

カロリング朝

フランク王の一覧

先代
ルイ2世西フランク国王
879年 - 882年次代
カルロマン2世










フランス君主
カロリング朝

シャルル2世 843-877

ルイ2世 877-879

ルイ3世 879-882

カルロマン2世 879-884

シャルル肥満王 885-888

ロベール朝

ウード 888-898

カロリング朝

シャルル3世 898-922

ロベール朝

ロベール1世 922-923

ボゾン朝

ラウール 923-936

カロリング朝

ルイ4世 936-954

ロテール 954-986

ルイ5世 986-987

カペー朝

ユーグ1世 987?996

ロベール2世 996?1031

ユーグ2世(共同王) 1017-1025

アンリ1世 1031?1060

フィリップ1世 1060?1108

ルイ6世 1108?1137

フィリップ(共同王) 1129-1131

ルイ7世 1137?1180

フィリップ2世 1180?1223

ルイ8世 1223?1226

ルイ9世 1226?1270

フィリップ3世 1270?1285

フィリップ4世 1285?1314

ルイ10世 1314?1316

ジャン1世 1316

フィリップ5世 1316?1322

シャルル4世 1322?1328

ヴァロワ朝

フィリップ6世 1328?1350

ジャン2世 1350?1364

シャルル5世 1364?1380

シャルル6世 1380?1422

シャルル7世 1422?1461

ルイ11世 1461?1483

シャルル8世 1483?1498

ランカストル朝

アンリ2世(異説あり) 1422-1453

ヴァロワ=オルレアン朝

ルイ12世 1498?1515

ヴァロワ=アングレーム朝

フランソワ1世 1515?1547

アンリ2世 1547?1559

フランソワ2世 1559?1560

シャルル9世 1560?1574

アンリ3世 1574?1589

ブルボン朝


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