ルイ13世の誓願
[Wikipedia|▼Menu]

『ルイ13世の誓願』フランス語: Le V?u de Louis XIII
英語: The Vow of Louis XIII

作者ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル
製作年1820年-1824年
種類油彩カンヴァス
寸法421 cm × 262 cm (166 in × 103 in)
所蔵モントーバン大聖堂、モントーバン
1820年の絵画『聖ペテロへの天国の鍵の授与』。アングル美術館所蔵。アングルが描いたジャン=フランソワ・ジリベールの肖像画(1805年)。本作品の発注に尽力したジリベールはアングルの最も親しい友人であり、生涯にわたって文通が続けられた。モントーバン、アングル美術館所蔵。

『ルイ13世の誓願』(: Le V?u de Louis XIII, : The Vow of Louis XIII)は、フランス新古典主義の巨匠ドミニク・アングルが1820年から1824年にかけて、故郷モントーバンのモントーバン大聖堂のために制作した祭壇画である。主題はフランス王国ブルボン王朝の第3代国王ルイ14世の誕生にまつわるフランスの故事から取られている。貧困に苦しんでいたフィレンツェ時代のアングルが4年の年月をかけて制作し、1824年サロンに出品した本作品は、ロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワのサロン出品作『キオス島の虐殺』(Scene des massacres de Scio)に対抗する新古典主義の大作として絶賛され、アングルに数々の社会的成功をもたらした[1]。現在はモントーバンのモントーバン大聖堂に所蔵されている。
主題

ブルボン王朝第2代目の国王ルイ13世は1638年、聖母マリアに跡継ぎの子が生まれたならフランス王国を聖母に捧げ、パリノートルダム大聖堂に新しい祭壇彫刻を寄進するという誓いを立てた。ルイ13世がスペイン国王フェリペ3世の王女アンヌ・ドートリッシュと結婚したのは1615年のことである。しかし24年の結婚生活の間に4度の流産を経験したアンヌはルイ13世の子をまだ一度も出産していなかった。しかし誓願を立てるとアンヌはその年の9月に後の太陽王ルイ14世を無事に出産し、またその2年後には第2王子であるオルレアン公フィリップ1世を出産した。ルイ14世の誕生に歓喜した国王はフランスを処女マリアに捧げ、誓願によって生まれたルイ14世には「ルイ・デュードネ」(Louis-Dieudonne, 神の賜物の意)という洗礼名が授けられた。またフィリップ・ド・シャンパーニュに命じて『ルイ13世の誓願』を描かせた。
制作経緯オーギュスト・ド・フォルバン伯爵(1817年)。リュクサンブール美術館を設立して同時代の芸術作品を国家が購入する政策を推進し、新古典主義だけでなくロマン主義絵画の購入をも進める一方、亡命したダヴィッドの大作の復帰に尽力、またローマ大賞の歴史風景画部門の創設にも関与し、当時地位の低かった風景画に国家的承認を与えるなどの改革を行った[2]

1820年、アングルはローマのトリニタ・デイ・モンティ教会(英語版、イタリア語版)のために『聖ペテロに天国の鍵を渡すキリスト』( La Remise des cles a Saint Pierre)を制作した。この作品を見た批評家の数は多くはなかったが、彼らから好評を得たことでアングルはより大きな仕事を受注することになった。それが本作品『ルイ13世の誓願』である。この背景には同郷の友人ジャン=フランソワ・ジリベールや、モントーバンの有力者の働きかけがあった。同年、フランス政府の内務省は画家の故郷モントーバンのノートルダム大聖堂祭壇画をアングルに発注した[3]。主題は《フランス王国を昇天する聖母の庇護のもとへ捧げるルイ13世の誓願》と定められた[1]
作品

アングルは聖母マリアに誓いを立てるルイ13世の姿を描いている。背中を向けたルイ13世は祭壇に跪き、王権の象徴である王冠王笏を差し出している。祭壇を覆うカーテンは2人の天使によって左右に開かれており、神々しい光が降り注ぐ祭壇上には、燭台を支えるプットーたちとともに雲に座した聖母マリアが現れている。アングルは縦長の画面を2分し、聖母子の属する天上世界とルイ13世の属する地上世界を描き分けた。祭壇上に起きた奇跡は天使たちがカーテンを開くことでルイ13世にも確認でき、またその輝きはカーテンの奥から漏れ出でて、ルイ13世が跪く冷たさを感じさせる暗い地上をほのかに照らし出している。

構図や聖母子像のポーズなどは盛期ルネサンスの巨匠ラファエロ・サンツィオの影響がはっきりと見て取れる。画面を上下に二分するのは伝統的な《聖母被昇天》のスタイルであり、燭台を支えるプットーを聖母子像の両脇に描いた1513年頃の『燭台の聖母』(Madonna dei Candelabri)や、カーテンの仕切りの奥に聖母子を描いた傑作『システィーナの聖母』(Madonna Sistina)、また雲に座した聖母子像を描いた『フォリーニョの聖母』(Madonna di Foligno)から影響を受けていることが指摘されている[4][1]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:33 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef