ルイーズ・マリ=ジャンヌ・エルサン
Louise Marie-Jeanne Hersent
フランソワ=ジョゼフ・エイムによる肖像画
誕生日1784年3月7日
出生地 フランス王国、パリ
死没年1862年1月7日
死没地 フランス帝国、パリ
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ルイーズ・マリ=ジャンヌ・エルサン(Louise Marie-Jeanne Hersent、結婚前の姓: モーデュイ(Mauduit)、 1784年3月7日 - 1862年1月7日)はフランスの画家である。肖像画家として知られるルイ・エルサン(1777-1860)の妻である。 パリで測量学者で、コレージュ・ド・フランスの数学の教授のアントワーヌ=ルネ・モーデュイ(Antoine-Rene Mauduit)の娘に生まれた[1]。兄のアントワーヌ(Antoine Francois Mauduit :1775-1854)は建築家であり、妹のカトリーヌ(Catherine)は画家のボワゾ(Antoine Honore Louis Boizot:1774-1817)と結婚した[2]。 新古典主義の画家、シャルル・メニエから絵を学び、1810年からサロン・ド・パリに出展を始めた。1824年まで出展し1817年と1819年に1等のメダルを受賞した。1821年に画家のルイ・エルサンと結婚した。 パリ、カセット通りの自宅で、女性のための絵画教室を開き、教えた学生には陶磁器の絵師として知られるボケ(Marie Virginie Boquet:1810-1879)やフィリポー(Julie Philipault:1780-1834)らがいる。
略歴
作品
『ダフニスとクロエ』
Madame de Fumel (1816)
参考文献^ biographie de Louis Hersent par Michael Bryan (1757-1821)
^ https://gw.geneanet.org/garric?lang=fr&p=louise+m+jeanne&n=mauduit