ルイーズ・ド・サヴォワ
Louise de Savoie
アングレーム女公
在位1515年 - 1531年
称号アングレーム伯妃
出生 (1476-09-11) 1476年9月11日
サヴォイア公国、ポン=ダン城
死去 (1531-09-22) 1531年9月22日(55歳没)
フランス王国、グレ=シュル=ロワン
埋葬1531年10月19日
フランス王国、サン=ドニ大聖堂
配偶者アングレーム伯シャルル・ドルレアン
子女マルグリット
フランソワ1世
家名サヴォイア家(サヴォイア=ブレッセ家)
父親サヴォイア公フィリッポ2世
母親マルグリット・ド・ブルボン
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ルイーズ・ド・サヴォワ(フランス語:Louise de Savoie, 1476年9月11日 - 1531年9月22日)は、フランス王フランソワ1世の母。アングレーム伯シャルル・ドルレアンの妻。イタリア名はルイーザ・ディ・サヴォイア(Luisa di Savoia)。1515年、1525年から1526年、および息子の不在中の1529年にフランスの摂政を務めた。自身の権利によりオーヴェルニュ女公およびブルボン女公(在位:1522年 - 1531年)。 ルイーズはサヴォイア公フィリッポ2世と最初の妻マルグリット・ド・ブルボン(ブルボン公シャルル1世の娘)の娘である[1]。サヴォイア公フィリベルト2世は同母弟、カルロ3世は異母弟である。また、ルイ11世の王妃シャルロット・ド・サヴォワは叔母に当たる。 7歳のときに母マルグリットが亡くなったため、シャルル8世の姉で摂政のアンヌ・ド・ボージューに育てられた[1]。アンボワーズにおいてマルグリット・ドートリッシュ(皇帝マクシミリアン1世とマリー・ド・ブルゴーニュの娘)に会った。マルグリット・ドートリッシュはシャルル8世の婚約者であり、ルイーズは数十年後に和平交渉を行うこととなる[2]。 ルイーズは11歳のとき、1488年2月16日にアングレーム伯シャルル・ドルレアンとパリにおいて結婚した。しかし、ルイーズが夫と暮らし始めたのは15歳のときであった[2]。夫には2人の愛妾がいたにもかかわらず、結婚生活は不幸なものではなく[3]、夫妻はともに書籍を好んだ。 シャルルの家政は、女官長で愛妾のコンブロンド女領主アントワネット・ド・ポリニャックによって取り仕切られ、シャルルとの間にジャンヌ・ド・アングレームとマドレーヌという2人の庶子をもうけていた。アントワネットはルイーズの女官となり、親友となった。アントワネットの子供たちはルイーズの子供たちと一緒に育てられた[4]。シャルルは、同じくアングレーム城に住んでいた愛妾ジャンヌ・ル・コントとの間にもソーヴレーヌという庶子をもうけていた。ルイーズは後に夫の庶子らの結婚を手配することになる[2]。 夫妻の最初の子供であるマルグリットは1492年4月11日に生まれた。また、第2子であるフランソワは1494年9月12日に生まれた。
生涯
生い立ち
結婚