ルイーズ・アードリック
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ルイーズ・アードリック
Louise Erdrich
ルイーズ・アードリック - 2015年全米図書フェスティバル
誕生カレン・ルイーズ・アードリック
(1954-06-07) 1954年6月7日(69歳)
アメリカ合衆国 ミネソタ州リトル・フォールズ
職業作家
言語英語
最終学歴ダートマス大学
ジョンズ・ホプキンズ大学大学院
ジャンル小説児童文学
主題現代アメリカにおける先住民コミュニティ、先住民の歴史・文化
文学活動ネイティヴ・アメリカン・ルネサンス、ポストモダニズム
代表作『ラブ・メディシン』
『ビート・クイーン』
『コロンブス・マジック』
『五人の妻を愛した男』
『スピリット島の少女 ― オジブウェー族の一家の物語』
主な受賞歴全米図書賞全米批評家協会賞世界幻想文学大賞オー・ヘンリー賞ピューリッツァー賞 フィクション部門
配偶者マイケル・ドリス
ウィキポータル 文学
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ルイーズ・アードリック(Louise Erdrich; 1954年6月7日 -)は、アメリカ合衆国小説家詩人児童文学作家オジブワ族(先住民)、ドイツ系フランス系の血を引きながら、ネイティヴ・アメリカンの作家として、現代アメリカにおけるオジブワ族コミュニティの物語を三世代以上にわたって多層的・多声的に語った大河小説により、全米図書賞全米批評家協会賞世界幻想文学大賞オー・ヘンリー賞ピューリッツァー賞 フィクション部門など多くの賞を受賞した。また、先住民コミュニティの活性化のために書店バーチバーク・ブックスを設立し、家族とともに経営している。
背景

ルイーズ・アードリックは1954年6月7日、カレン・ルイーズ・アードリックとしてミネソタ州リトル・フォールズに生まれ、ノースダコタ州ウォーペトンのインディアン居留地に育った。父はドイツ系アメリカ人、母はオジブワ族(原住民を表わす「アニシナーベ」、またはチペワ族とも呼ばれる)とフランス系アメリカ人を両親にもち、二人ともインディアン事務局の寄宿学校の教師であった。母方の祖父パトリック・グルノーは長年にわたってチペワ族のタートル・マウンテン・バンドの部族協議会の議長を務めた。アードリックは7人兄弟姉妹の長女である[1][2]
先住民の歴史・文化

1972年から1976年までダートマス大学で英語を専攻し、さらにジョンズ・ホプキンズ大学大学院創作科に進み、1979年に修士号を取得した。ダートマス大学でネイティヴ・アメリカン研究プログラムを設立した人類学者のマイケル・ドリス(英語版)と出会ったことをきっかけに、自らの祖先の歴史・文化について興味をもち、調査・研究を行った。ドリスとは1981年に結婚し、ドリスの実子3人を養子にし、さらにドリスとの間に3子をもうけた[3]。ドリスは小説家でもあり、邦訳書に先住民の子どもを主人公とする『青い湖水に黄色い筏』[4]、『朝の少女』[5]、『森の少年』[6]、『水の国を見た少年』[7]などがある。また、1989年には胎児性アルコール症候群の子どもを描いた『切れた絆 (The Broken Cord)』で全米批評家協会賞を受賞した。アードリックはインタビューで、多くのネイティヴ・アメリカンの文化が完全に破壊され、生き残っている者たちにとって最も深刻な問題は貧困、胎児性アルコール症候群および慢性的な絶望感であるとし、これを原子爆弾投下後の放射線障害に例えている[8]。実際、彼女の作品にもこうした問題に苦しむ人物が多く登場する。
共同執筆

やがて、アードリックはドリスと共同で執筆活動を開始した。ネルソン・オルグレン賞(小説部門)を受賞した短篇「世界で最も偉大な漁師」およびデビュー作『コロンブス・マジック』は連名で発表したが、以後の単著においてもつねにドリスに原稿を見せ、登場人物について語り合い、修正しつつ書き上げており、アードリックの作品の特徴とされる多声の語りは、その創作過程においても同様であり、これはまた、先住民の口承伝統につながるものである[9]
多層構造・多声の語り

1984年に発表された小説『ラブ・メディシン』は、アードリックがノースダコタ州の架空の町アーガスを舞台として以後20年にわたって描き続けることになるオジブワ族コミュニティの物語の第一作であり、同年、全米批評家協会賞を受賞した。ラブ・メディシン(愛の妙薬)とは、「狭義には男女間の冷えた愛を復活させる秘薬」のことだが、本作品では虐げられてきた人びとの魂を癒し、「物や人を所有的にではなく愛し、おだやかに分かち合って生きる、新しい知あるいは術」をも意味するとされる[10]。この作品では、チペワ族の混血女性であるジューンの死を巡って、恋敵の二家族キャシュポー家とラマルチヌ家三代にわたる物語が互いに交錯しつつ展開され、ここにさらに先住民神話を土台としてトリックスター超自然現象、言葉の呪術的力などのモチーフが織り込まれていく。アードリックはネイティヴ・アメリカン・ルネサンス(英語版)第二波を代表する作家とされるが、N・スコット・ママデイ(英語版)、レスリー・マーモン・シルコウらの第一波の作家が「伝統的先住民性を強調し、文化的伝統復活と共同体回帰によって現代先住民の文化的アイデンティティの安定とサバイバル」を試みたのに対して[11]、アードリックは、「(先住民虐殺の)破局の跡に残された文化の核心を守り、称えながらも、現代に生き残った者たちの物語を語る」とし[8]、歴史性・政治性を強調したり、先住民性を前面に押し出したりする第一波とは一線を画している。

また、これについて彼女は、両親から先住民系、欧州系の両方の血を引いていることに触れ、「私の出自は文化の混合にあり、私にはこれを出発点として書く以外に方法がない。父方・母方の両方のことを知るにつれ、私はたくさんの民族とともに、さまざまな時代、さまざまな場所に生きてきたとつくづく思う」と説明している[12]。アードリックの作品が土地を奪われ、虐殺され、不毛な土地へと囲い込まれた先住民の現代アメリカ社会に生きる姿を時には悲しみを込めて、時には滑稽に描きながら、同時にまた先住民の伝統にもポストモダニズムにも通じる多層構造、多声の語り、循環的時間、トリックスター(特にオジブワ族のトリックスター「ナナボーゾ」)的人物などを特徴とするのは[11]、彼女のこうした世界観によるものである。
バーチバーク・ブックス

1991年に息子の一人を交通事故で亡くした後、アードリックとドリスは別居し、離婚手続きを開始した。共同執筆は1990年代にも続けていたが、1997年にドリスが死去した。自殺と見られている[3]。以後、アードリックは娘たちとともにミネソタ州に引っ越し、先住民コミュニティの活性化のために書店バーチバーク・ブックスを設立した。書店だけでなく、知的活動の場であり、集会場や展示場、サロンの役割もそなえたユニークな書店である[13]。バーチバークとは樺の樹皮の意味であり、防水性に優れるため、古くから先住民のカヌーに利用された。
正義の三部作

20年にわたって描き続けたオジブワ族大河小説の後、1897年に起こった先住民リンチ事件に基づく『ハトの災い』(2008)、母親を強姦された少女が正義を求める『丸い家』(2010; 全米図書賞)、誤って隣人の息子を撃った償いに愛する息子を捧げるという先住民の伝統に基づく『ラローズ』(2016; 全米批評家協会賞) を発表した。これらは「正義の三部作」と呼ばれる。また、邦訳された『スピリット島の少女』をはじめとする児童文学作品や詩作品も表している。
著書
小説

Love Medicine (1984) - 1984年全米批評家協会賞

『ラブ・メディシン』望月佳重子訳,
筑摩書房, 1990

ノースダコタ州アーガス(架空の町)を舞台とする三代以上にわたるオジブワ族コミュニティの物語の第一作(上記参照)。


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