ルイス軽機関銃
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ルイス軽機関銃地上型・軽機関銃タイプのルイス機関銃
概要
種類軽機関銃
製造国 イギリス
設計・製造アイザック・ニュートン・ルイス、バーミンガム・スモール・アームズ(BSA)
性能
口径7.7mm(0.303インチ
銃身長635mm
使用弾薬7.7mmx56R
装弾数47/97発
作動方式ガス圧作動方式
全長1,250mm
重量12.15kg
発射速度500?600発/分
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ルイス軽機関銃(ルイスけいきかんじゅう、英語: Lewis Gun)とは、主に第一次世界大戦期にイギリスで生産された軽機関銃である。

連合国側で広く使用されたほか、第二次世界大戦でも一部で使用された。標準弾薬は.303ブリティッシュ弾(7.7mm)だが、他の弾薬を使用するバリエーションもある。
開発経緯

原型は1911年にアメリカ人・サミュエル・マクリーンにより設計され、アメリカ陸軍の退役大佐アイザック・ニュートン・ルイスの手により完成した。しかしアメリカ国内でこの銃のパテントを購入し生産しようというメーカーは無く、陸軍にも採用されなかった。その後ルイスにより海外への売り込みが図られ、1913年にベルギー陸軍が採用、翌年にはイギリス陸軍にも採用され、イギリスバーミンガム・スモール・アームズ(BSA、ベサ)によりLewis Gun Mk.1の名で量産された。

リブ付きの47発または厚みのある97発型のパンマガジン(皿形弾倉)は上・側面のみカバーされていて、下から見ると先端を弾倉中心に向けて装填された銃弾が螺旋状に入っているのが露出して見える。97発マガジンは四層、47発は二層になる。ボルトが後退するたびに、弾倉全体が時計回りに回転する(銃側に回転止めがあり、弾倉のリブに噛み合う形で給弾を保持する)。排莢口は弾倉下の機関部右側面にあり、空薬莢は下右へ排莢される。標準タイプには二脚架が用意されており、伏射による安定した射撃をサポートした。対空用及び艦艇搭載用に、単脚架や三脚架も存在する。

後退したボルトを前進させるばねには一般的な圧縮コイルばねではなく、ぜんまいばねが用いられている。このぜんまいばねは引き金の前方にある半円形の突出部に内蔵され、歯車を介してボルトに力を伝えている。

空冷式であり、外見上の特徴になっている水冷機銃の冷却水タンクのように見えるものは放熱用のアルミ製冷却筒である。銃身と冷却筒の間には放熱用のリブが挿入されている。冷却筒の先端は銃身の先端からさらに前方へ突き出していて、銃口の前に当たる冷却筒の内側には何もない空間が設けられている。射撃時に銃口から発射ガスが前方へ噴出すると、負圧によって銃身の周囲の空気が前方に誘引され、後部から新たな空気が冷却筒の中へ流れ込んで冷却効果を高める仕組みである。ただ効果はあまり芳しいものではなかったので、以後の軽機関銃に同様の冷却筒を備えた銃器はほとんどなく、量産されているのはPKP ペチェネグ機関銃程度である。なお航空仕様では気流による自然冷却が利用できる上、空気抵抗の増加を防ぐために冷却筒と放熱リブは取り外されており、銃床(バットストック)も振り回しやすい握り(グリップ)に変更され、軽量化が図られていた。旋回機銃用に二挺のルイスを並列させた連装銃架も製作されている。

訓練。WWTの豪軍

連装でソッピース キャメルに装備。ただし実戦仕様かは不明

97発マガジンを裏から見る

運用 弾倉が装着されボルトが後退した、全装填状態の機関部断面図。引き金を操作すると解放されたボルトがぜんまいばねの力で前進し、初弾を薬室へ送り込む。

複雑な送弾機構や、弾丸が露出して埃に弱い弾倉のせいで故障が多く、後発の軽機関銃に比較すると信頼性は低い。しかし機関銃の黎明期に登場したアメリカのM1909ベネット・メルシェ軽機関銃やフランスのショーシャ軽機関銃など、信頼性に欠け故障ばかり起こす各製品に比較すれば、軽量であり、かつ実際の戦場で実用可能な信頼性をはじめて実現した。当時としては軽量であることも評価され、第一次世界大戦中にはイギリス陸軍で使用されたほか、フランス陸軍やアメリカ陸軍でも採用され、アメリカでは弾薬を30-06スプリングフィールドとした仕様が生産された。ロシア帝国軍も6,000挺近くを購入したことが記録されている。

地上用の軽機関銃としてだけでなく、航空機搭載用としても用いられ、史上初の航空機銃となった。低性能の自国産機関銃に見切りを付けたフランス軍を筆頭に、イタリア軍ベルギー軍など連合軍側各国航空隊にも採用され、偵察機などの旋回機銃として搭載するほか、戦闘機の固定機銃として複葉機の上翼上に装備された。これは引き金を直接引く他に、コクピットからワイヤーによる遠隔操作で発砲可能になっている。イギリス陸軍航空隊では途中からフォスター銃架が導入され、弾倉交換のために上向きにすることで、斜銃のような使い方も出来た。しかし、この弾倉交換が固定機銃としてのネックで、プロペラ回転面を通して射撃する機銃同調装置が付いたベルト給弾式のヴィッカース機銃に比べて弾数の少なさから頻繁に再装填を繰り返さなければならず、後に航空用として97発入りの大型弾倉が開発導入されたが完全な解決には至らなかった。

信頼性の低さから、第一次世界大戦後はイギリスでは後継としてチェコスロバキア製のZB26ライセンス化したブレン軽機関銃に、航空機銃としてはヴィッカースK機関銃(英語版)へ更新されるなど、各国で第一線から退いていった。

第二次世界大戦のイギリスでは予備兵器として保管され、ホーム・ガードをはじめとした民兵などの二線級装備となっていたが、イギリス海外派遣軍ダンケルク撤退戦で大量の兵器をヨーロッパ大陸へ遺棄した結果、兵器不足を補う形で倉庫から引き出され、北アフリカ戦線で活動するL.R.D.G(Long Range Desert Group)の車輌にも搭載された。これを捕獲したドイツ国防軍は7.7 mm leMG 137(e)の名をつけている。だが、各兵器の再生産が進むと役目を終えて前線から消えていった。

第二次大戦後の戦場にも非正規装備として少数が使われており、第一次中東戦争朝鮮戦争インドシナ戦争からベトナム戦争グレナダ侵攻ユーゴスラビア紛争でその存在を確認されている。
日本での運用 九二式七粍七機銃

第一世界大戦時の日本は連合国側であったので、英仏からの軍用機輸入に伴って連合国側の標準的航空機銃であったルイス機銃もヴィッカース機銃と同時に導入され、陸、海軍航空隊とも大正時代から運用を開始している。

日本海軍は九二式七粍七機銃(ルイスの頭文字から留式7.7mm機銃とも)として採用し、軍艦の対空機銃としてはもちろん、航空機の旋回機銃や陸戦隊用などとして第二次世界大戦でも広く使用した。日本陸軍九二式重機関銃と名称が類似するが、まったく異なる銃である。初期には輸入していたが、後に国産化され、少なくとも1944年昭和19年)まで横須賀及び豊川海軍工廠で生産が続き、終戦まで使用された。搭乗員が手袋を付けた状態で使用しやすいようにトリガーガードが大型化されたものもあった。使用弾薬はイギリス軍と同じ.303ブリティッシュ(7.7mmx56R)弾であり、日本陸軍の7.7mm弾との互換性は無かった。

一方、日本陸軍では1915年に、ルイス軽機関銃と外見のよく似た試製軽量機関銃甲号を開発している。これは口径6.5mmで、三年式機関銃をもとに小型化した機関部にルイス式の放熱筒と皿型弾倉を付けたもので、二脚ではなく小型の三脚を用いていた。
登場作品


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