ルイス・フェリペ・スコラーリ
名前
愛称フェリポン(Felipao)
ラテン文字Luiz Felipe Scolari
基本情報
国籍 ブラジル
イタリア
生年月日 (1948-11-09) 1948年11月9日(75歳)
出身地パッソ・フンド
ルイス・フェリペ・スコラーリ(Luiz Felipe Scolari、1948年11月9日 - )は、ブラジル・リオグランデ・ド・スル州パッソ・フンド出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。
ブラジルでは「フェリポン (Felipao) 」の愛称で呼ばれる。スコラリ, ルイス・フェリッピ・スコラーリとも表記される。 選手としての実績は乏しいものの、指導者としてグレミオ、パルメイラスでコパ・リベルタドーレス制覇に導き、名将の地位を確立。日本でも1997年にわずか4ヶ月だけではあったがジュビロ磐田で指揮を執り、後の黄金時代の基礎作りに貢献した(当時の登録名はフェリペ)。 実子のカルボーネが、1996年9月にリーグ戦2試合のみの出場だったが鹿島アントラーズに在籍した。 2001年、コンフェデ杯での不振を受けて解任されたエメルソン・レオンの後を受けてブラジル代表の監督に就任。南米予選では、初の地域予選敗退が囁かれるほどの苦戦を強いられるが、無事に本大会出場を決める。ブラジルでは伝統的な442を止め、それよりも守備的とされる352を採用。マスコミやサポーターから「守備的だ」と批判されるが、日韓W杯ではロナウドやリバウド、ロナウジーニョら圧倒的な攻撃力を擁してチームを優勝に導いた。一方で規律を重視し、スターであったロマーリオを代表から外したことでも話題を呼んだ。ポルトガル代表監督時のスコラーリ(2003年8月) ブラジル代表監督を退任後、ポルトガル代表監督に就任。こちらでも、複数のベテラン選手を容赦なく外した。ヴィトール・バイーアを外した時、メディアは容赦なく批判したが、聞く耳を持たなかった。 結果、EURO2004では準優勝に導き、2年後のドイツW杯でも4位と健闘した。W杯ではブラジルを率いた2002年大会の初戦から、2006年大会の準決勝でフランスに敗れるまで監督として12戦負け無し(PK勝ちした2006年準々決勝のイングランド戦は引き分け扱いになるため、連勝記録としては11)という快記録も樹立した。 2008-09シーズン、チェルシーの監督に就任。欧州クラブで初めて指揮を執ることとなったチェルシーではモウリーニョ、グラント時代からのカウンターサッカーが主体となっていたチームにポゼッションサッカーを取り入れ、シーズン序盤は大量得点での勝利など順調に勝ち点を積み上げていたが、マンチェスター・ユナイテッド、アーセナル、リバプールとの対戦では勝利を得られず、順位も2009年2月で4位と後退。2月9日、クラブから監督職を解任された。 その後、ウズベキスタンのブニョドコルの監督を務めた後、2010年7月からブラジルのパルメイラスの監督に就任したが、成績不振により2012年9月に解任されている。 2012年11月29日、自身2度目となるブラジル代表監督就任が発表された[1]。
経歴