ルイス・ハミルトン
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ルイス・ハミルトン
Lewis Hamilton
ルイス・ハミルトン
2022年サンパウロGP
基本情報
国籍 イギリス
生年月日 (1985-01-07) 1985年1月7日(39歳)
ルイス・カール・デビッドソン・ハミルトン
Lewis Carl Davidson Hamilton
出身地 イングランド
ハートフォードシャー州スティーブニッジ
親族アンソニー・ハミルトン(父)
カルメン・ラルバレスティア(母)
ニコラス・ハミルトン(弟)

基本情報
略称表記HAM
F1での経歴
活動時期2007-
過去の所属チーム'07-'12 マクラーレン
所属チーム'13-'24 メルセデス
'25- フェラーリ(予定)
車番44
出走回数340
タイトル7 (2008,2014,2015,2017,2018,2019,2020)
優勝回数103
表彰台(3位以内)回数197
通算獲得ポイント4,681.5
ポールポジション104
ファステストラップ66
初戦2007年オーストラリアGP
初勝利2007年カナダGP
2023年順位3位 (234ポイント)
(記録は2024年第8戦モナコGP終了時)
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ルイス・カール・デビッドソン・ハミルトン(Lewis Carl Davidson Hamilton , 1985年1月7日 - )は、イギリスハートフォードシャー州東イングランドスティーブニッジ出身のレーシングドライバーメルセデスAMG所属。BLM活動家[1]。身長174cm、体重73kg
生い立ち

1985年1月7日イギリスハートフォードシャーでアフリカ系イギリス人の父親アンソニー・ハミルトンと、白人系イギリス人のカーメン・ラーバレスティアの2人の長男として誕生した[2]。「ルイス」という名前はオリンピックメダリストのカール・ルイスからとった[3]。父方の祖父は1950年代にグレナダからイギリスに移住してきた移民である[3]

両親は2歳の時に離婚したため、10歳になるまで母親のカーメンと暮らし、その後父アンソニーの後妻のリンダ・ニコラスの家に引っ越した[4]。6歳の時にアンソニーに買ってもらったラジコンカーで大人も混ざったラジコン大会で2位という成績を収め、アンソニーが息子にはモータースポーツに通ずる才能があるのではないかと考えたという[5]。同年のクリスマスプレゼントとしてカートをプレゼントした[6]。ほぼ同時期にいじめから自分を守るために空手を始めている[7]。ジョン・ヘンリー・ニューマン校に在学したハミルトンは、レーシングカートに励む一方で所属する学校のサッカーチームやクリケットにも同様の熱意を向けていたという[7]。2001年の2月からは、CATSケンブリッジ(ボーディングスクール)で芸術科学を学んだ[8]
初期の経歴
カートハミルトンのカート

1993年、8歳でレーシングカートを始める。2年後の1995年、10歳の時にイギリスカートチャンピオンを獲得したのを皮切りに幾つかのタイトルを獲得。この年のオートスポーツ・アワードの授賞式で当時マクラーレン代表のロン・デニスに自ら歩み寄り「あなたの車に乗ってワールドチャンピオンになりたい」と言ったが、デニスはハミルトンのサイン帳に「9年後にまたおいで」と書いたという[9]。しかし、その後の活躍に注目したデニスから3年後にはコンタクトがあり[9]、1998年にはマクラーレンと長期契約を交わした。以後、同チームによる支援の下でキャリアを重ねることとなり、早期から「マクラーレンの秘蔵っ子」として名を知られるようになった。2000年にはフォーミュラAクラスでヨーロッパカートチャンピオンとなり[10]ツインリンクもてぎ北ショートコースで行われた「アイルトン・セナ メモリアルカップ CIK-FIA WORLD CUP Shell ADVANCE KART RACE IN JAPAN」のフォーミュラAクラスでも優勝[10]

2001年はCIK-FIA カート世界選手権にフォーミュラスーパーAクラスからエントリーし、スポット参戦していたミハエル・シューマッハにも高く評価された[11]
ジュニアフォーミュラ

2001年は、CIK-FIA カート世界選手権と共にイギリスフォーミュラ・ルノー冬季シリーズにも参戦し、ランキング7位[12]

2002年は同選手権のレギュラーシリーズに参戦。3度のポールポジションと3度の優勝を記録し、ランキング3位[10]

2003年は同選手権を独走し、10勝を上げ、最終戦まで2ラウンド(4レース)を残し、チャンピオンに輝いた[10]。この年はF3マカオGPにも出場した[13]
F3

2004年はマノー・モータースポーツからフォーミュラ3・ユーロシリーズに参戦。初年度は1勝、ランキング5位[14]。マカオGPでも総合14位と不本意な成績に終わった[15]。その後の「バーレーン・スーパープリ」では優勝を飾っている[10]。また、シルバーストンで行われたマクラーレンのテストに参加し、初めてF1カーを運転した[16]

2005年はASMに移籍すると、20レース中15勝を上げてチャンピオンに輝き[10]、各国F3の強豪が集うマールボロ・マスターズを制した[10]
GP2

2006年前年度チャンピオンのニコ・ロズベルグがF1へ昇格したことを受け、その後任としてARTグランプリからGP2に参戦。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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