この項目では、スペインの映画監督について説明しています。その他の用法については「ルイス・ガルシア」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はガルシア=ベルランガ、第二姓(母方の姓)はマルティです。
ルイス・ガルシア・ベルランガ
アラゴン州ソス・デル・レイ・カトリコ
受賞
カンヌ国際映画祭
ユーモア映画・脚本賞
1953年『ようこそ、マーシャルさん!』
ヴェネツィア国際映画祭
国際カトリック映画事務局賞
1956年『カラブッチ』
国際映画評論家連盟賞
1963年『死刑執行人』
ゴヤ賞
監督賞
1993年『みんな刑務所へ』
その他の賞
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ルイス・ガルシア=ベルランガ・マルティ(スペイン語: Luis Garcia-Berlanga Marti, 1921年6月12日 - 2010年11月13日)は、スペイン・バレンシア出身の映画監督・脚本家。 もっともよく知られた作品はキャリア最初期の『ようこそ、マーシャルさん!』(1952年)であり[2][3]、1960年代のスペインに現れたヌエボ・シネ・エスパニョール(新しいスペイン映画)を象徴する映画監督のひとりである[4]。脚本家のラファエル・アスコナとは7作品でタッグを組んだ。同時代のスペインに生まれた映画監督、ルイス・ブニュエル(Bunuel、1900年生)、フアン・アントニオ・バルデム(Bardem、1922年生)とともに、「3人の優れたB」と呼ばれ[5]、やや後年のカルロス・サウラ(Saura、1932年生)を加えて「3B1S」と呼ばれることもある[6]。ベルランガはスペインを代表する映画監督ではあるものの、日本で劇場公開された作品は1本もない[7][8]。 父方の祖父のフィデル・ガルシーア・ベルランガ 母方は実業家の家系だった。1番目の叔父ルイス・マルティ 1921年6月12日、ルイス・ガルシア・ベルランガはバレンシアに生まれた。ベルランガは兄が3人いる4人兄弟の末子であり、女性に対してはひどく内気な性格だった[10]。1928年にバレンシアの学校に入学したが、1929年には肺の病気が原因で兄のフェルナンドとともにスイスのBeau-Soleil病院学校に送られた[1]。1930年にはスイスからバレンシアに戻り、その後カバニーリェス学校在学中の1936年にスペイン内戦が勃発した[1]。 共和国派の政治家だった父親の処刑を避けるために、スペイン内戦後の1941年には青師団(スペイン義勇兵)に在籍して[1]、ドイツ軍とともに東部戦線で戦った[11]。1941年7月には凍死者が多く出るロシア・ノブゴロド近郊への派遣を経験しているが、救急部隊に配属された関係で戦闘には参加しなかった[10]。1942年にはスペインに帰国した[1]。
概要
家系
父方の家系
母方の家系
経歴
青年時代
国立映画研究所時代