ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ
Luiz Inacio Lula da Silva
2023年のルラ大統領
ブラジル連邦共和国
第35代 大統領
任期2003年1月1日 – 2011年1月1日
副大統領ジョゼ・アレンカール
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ(Luiz Inacio Lula da Silva ブラジルポルトガル語発音: [lu?is i?nasju ?lul? d? ?siwv?] ( 音声ファイル), ルイース・イナースィウ・ルーラ・ダ・スィウヴァと発音、1945年10月27日 - )[1]、通称ルーラ・ダ・シルヴァ(または単にルーラ)は、ブラジルの政治家、労働組合主義者である[2]。2003年から2010年までブラジルの第35代大統領を務めた後、2023年より第39代大統領に就任している[3]。左派政党である労働者党の創立メンバーであり、2002年のブラジル総選挙で勝利を収めるまで、大統領選に3度出馬して落選した。2006年に再選を果たした[4]。2021年5月、ルーラは2022年のブラジル総選挙で、現職のジャイル・ボルソナロ大統領に対抗して3期目の出馬を明言した[5] [6] [7]。2022年10月30日、接戦の決選投票の末にボルソナロを破り、大統領に選出された。
大統領として、ルーラは貧困撲滅と労働者階級の地位向上を目指し、ボルサ・ファミリアやフォメ・ゼロなどの大規模な社会保障制度を導入した。イランの核開発計画や気候変動問題など国際問題にも積極的に取り組み、「国家間のパワーバランスを変える大胆な野心を持つ男」と評された[8]。1期目はメンサロン事件、エスカンダロ・ドス・サンゲスガス事件など、汚職事件に悩まされた。
ルーラは、元参謀のジルマ・ルセフに引き継がれ、ルーラ主義という形でブラジル政治に永続的な足跡を残している。ブラジル史上最も人気のある政治家の一人と呼ばれ、在任中は世界で最も人気のある政治家の一人であった[9] [10] [11]。2011年、40年間喫煙者であったルーラ[12]は咽頭癌と診断され、化学療法を受け、見事回復に至った[13]。
2016年初頭、ルーラはルセフの下で参謀長に任命されたが、最高連邦裁判所のジルマール・メンデス判事は当時進行中の連邦捜査のため、その任命を阻止した[14] [15]。2017年7月、ルーラは物議を醸した裁判でマネーロンダリングと汚職の罪で有罪判決を受け、9年半の禁固刑を宣告された。この裁判の連邦裁判官であるセルジオ・モロは、後にジャイル・ボルソナロ政権の法務・公安大臣に就任した[16]。上訴が失敗した後、ルーラは2018年4月に逮捕され、580日間を刑務所で過ごした[17] [18] [19]。ルーラは2018年の大統領選挙に出馬を試みたが、ブラジルの「クリーンスレート」法に基づき失格となった[20]。
2019年11月、最高連邦裁判所は、上訴を保留したままの投獄は違法であるとの判決を下し、その結果ルーラは釈放された[21]。2021年3月、最高裁のエドソン・ファシン判事は、ルーラの有罪判決は、彼の事件に対する適切な管轄権を持たない裁判所によって裁かれたため、すべて無効としなければならないという判決を下した[22]。ファチンの判決は、2021年4月に他の最高裁判事によって確認され、ルーラの政治的権利が回復された[23]。その後、連邦最高裁判所は2021年3月、彼の汚職裁判を監督したモロ判事が偏見に満ちた人物であるとの判決を下した[24]。モロがルーラに対して起こした裁判は2021年6月24日までにすべて無効となり、2022年の大統領選挙に再び出馬することが可能になり、大統領返り咲きを果たした。 1982年までは生誕時の名前であるルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ(Luiz Inacio da Silva)と名乗っていた。「ルーラ(ルラ)」(Lula)とは、自らの名前の「ルイス」(Luiz)をもじった幼少期からのあだ名であり1982年にサンパウロ州知事選に立候補するにあたって、広く知られた通称である「ルーラ」を加えてルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァと改名した。 ルーラはルイス・イナシオ・ダ・シルヴァとしてペルナンブーコ州の貧しい無学の農民の一家に生まれた。彼の誕生日は10月6日として届け出がなされているが、母親の記憶では10月27日生まれだと彼は主張している。ブラジルの農村部においては、出生日の食い違いは珍しいことではない。ルーラが生まれて間もなく、父親は沿岸の都市サントスに港湾荷役労働者として出稼ぎに出る。
名前の由来
生い立ち2005年、パースシャーサミットにブラジル大統領として参加(左の一番端の人物)妻マリーザと(2007年)