ルイス・アントニオ・デ・ボルボーン・イ・ファルネシオ
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ルイス・アントニオ・デ・ボルボーン・イ・ファルネシオ
Luis Antonio Jaime de Borbon y Farnesio

称号第13代チンチョン伯
出生 (1727-07-27) 1727年7月27日
スペイン帝国マドリード
死去 (1785-08-07) 1785年8月7日(58歳没)
スペイン帝国アビラ
埋葬 

配偶者マリア・テレサ・デ・バリャブリガ
子女ルイス・マリア
マリア・テレサ
マリア・ルイサ
父親スペインフェリペ5世
母親イサベル・デ・ファルネシオ
役職トレド大司教
枢機卿
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ルイス王子、フランシスコ・デ・ゴヤ画、1783年

ルイス・アントニオ・デ・ボルボーン・イ・ファルネシオ(スペイン語:Luis Antonio Jaime de Borbon y Farnesio, de Baviera y d'Este, 1727年7月27日 - 1785年8月7日)は、スペインの王族。トレド大司教及び第13代チンチョン伯。
目次

1 概要

2 脚注

3 参考文献

4 関連項目

概要

スペイン王フェリペ5世と王妃イサベル・デ・ファルネシオの三男としてマドリードで誕生した。幼い頃から聖職者として養育され、8歳で金羊毛騎士団員、トレド大司教、ローマのサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会の枢機卿となった(1754年に職位を返上している)。枢機卿となった世界最年少年齢として、「ギネスブック」に記載されている。

1759年、異母兄フェルナンド6世が嫡子のないまま死ぬと、ルイスは還俗して王位に就くことを夢見た。彼は、同母兄カルロが当時ナポリシチリアの王位に、フィリッポパルマ公位に就いていたことから、スペインにいる王位継承者は自分だけだと主張したのである。このため、カルロス3世として即位した兄に疎まれた。カルロスは空位となったナポリとシチリアの王位を、自分の次男フェルナンドへ与えた。ルイスは兄によってマドリードの宮廷から遠く離され、国内で流刑同然の状態に置かれた。

1776年頃、アラゴン貴族の女性マリア・テレサ・デ・バリャブリガと貴賤結婚し、3子をもうけた(他に1子を死産)。

ルイス・マリア(1777年 - 1823年) - トレド大司教、セビリア大司教、第14代チンチョン伯

マリア・テレサ(1779/1780年 - 1828年) - 第15代チンチョン女伯、スペイン宰相マヌエル・デ・ゴドイと結婚

マリア・ルイサ(1780年 - 1846年) - サン・フェルナンド公と結婚
アルカラ・デ・エナーレスの大司教館、トレドの枢機卿にしてスペインの王子ルイスの紋章

ルイスは芸術と文化の愛好者であり、ルイジ・ボッケリーニフランシスコ・デ・ゴヤの庇護者であった。
脚注

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参考文献
関連項目

金羊毛騎士団

枢機卿

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更新日時:2017年12月18日(月)14:46
取得日時:2018/12/31 02:13


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