座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯19度53分 東経102度08分 / 北緯19.883度 東経102.133度 / 19.883; 102.133
ルアンパバーン郡
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Luang Phabang(Luang Prabang)
龍?邦、琅勃拉邦
ルアンパバーンの町並み
位置
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座標 : 北緯19度53分 東経102度08分 / 北緯19.883度 東経102.133度 / 19.883; 102.133
歴史
設立
行政
国 ラオス
行政区画ルアンパバーン県
市ルアンパバーン郡
人口
人口(現在)
市域103,000人
その他
等時帯UTC+7 (UTC+7)
夏時間なし
ルアンパバーン郡(ルアンパバーンぐん、ラーオ語: ??????????????)は、ラオス北部に位置する古都。市街地自体が文化遺産としてユネスコの世界遺産(ルアン・パバンの町)に登録されている。
ラオスの首都ビエンチャンからメコン川を約400キロメートル上流にさかのぼったナムカン川との合流場所に位置する。人口約60,000人。 現在はラーオ語の発音に近い「ルアンパバーン」と表記されることが一般的となったが、過去にはタイ語からのローマ字表記が使われており、ルアンプラバンまたはルアンプラバーンとも表記された。なお、英語・フランス語など多くのヨーロッパ諸語や他の東南アジア諸語、中国語・韓国語等では現在でも「ルアンプラバン」の発音を基にした綴りを採用しており、「ルアンパバーン」の発音を採用するのはロシア語など数少ない。
歴史
古くは「ムアン・スワー(英語版)」と呼ばれた。
698年、ムアン・タン(英語版)(ディエンビエンフー)に攻められ、初代クーン・ロー(英語版)王がスワー侯国 (Rajadharani Sri Sudhana) を建国。
11世紀頃よりタイ名「シエンドーンシエントーン (Xieng Dong Xieng Thong) 」と呼ばれていた。
1353年、ラーンサーン王国の初代ファー・グム(英語版)王によって首都とされ、ラーンサーン王国の中心として栄えた。この時、パバーン仏(英語版)が贈られた。
1479年8月、ベトナム後黎朝の黎聖宗がラーンサーン王国へ親征し、5方向から軍を進めた。王都ルアンパバーンを破壊、現在のジャール平原にあたる地域に鎮寧府を設置し、7県を置いて統治した。
1548年、ラーンナー王国のセーターティラート王がラーンサーン王国の王にもなり、1551年にエメラルド仏を首都へ運んだ。
1560年、セーターティラート王がヴィエンチャンに遷都し、シエンドーンシエントーンは「ルアンパバーン」に改称された。この時、パバーン仏とエメラルド仏もヴィエンチャンに移された。
1707年からルアンパバーン王国の首都として栄えた。
1777年、トンブリー王朝がヴィエンチャンへ侵攻しシャムの属領とされ、パバーン仏とエメラルド仏を略奪してバンコクへ持ち帰った。
1782年、チャクリー王朝がパバーン仏のみを返還した。
1828年、再びシャムが侵攻し、パバーン仏を略奪してバンコクへ持ち帰った。
1867年、パバーン仏が返還された。
1885年、フランスがルアンパバーンに副領事館を開設。
1887年、黒旗軍により壊滅的な打撃を受け、それをきっかけにルアンパバーン王国はフランスの保護を受け入れた。
1905年、フランスによるルアンパバーン王国再編。
1945年3月9日、日本によるラオス進駐が開始される。
1945年8月15日、日本の武装解除を求めた中華民国のラオス進駐開始。
1946年5月13日、フランスがルアンパバーンを占領。
1975年のパテート・ラオによる共産主義革命が起こるまで王宮が置かれていた(政治上の首都は以前からヴィエンチャン)。
表記
主な建築物ラオス・ルアンパバーンでの僧侶による托鉢(サッカリン通り
歴史的建造物としては、1560年にセーターティラート王によって建てられたワット・シエントーン、1513年に建立されたラオス最古の寺ワット・ウィスナラート、町を一望できるプーシーの丘には1804年にアヌルット王によって建立されたタート・チョムシーと呼ばれる仏塔などがある。町の中心部に位置する旧王宮はルアンパバーン国立博物館として利用されている。 2008年、ニューヨークタイムスの調査でラオスが行ってみたい国ベスト1に選ばれたが、その観光の中心はルアンパバーンである。1995年にルアンパバーンは世界遺産として登録された。2015年には登録20周年記念として12月7日から3日間、6大イベント(@ルアンパバン世界遺産の保全、開発に関する国際セミナー、Aタートノイ寺からシェントング寺までの50のパレード、B写真展、画展、C商品展示会・ルアンパバンフードフェア、1995年からのルアンパバンの開発保全展、D芸術・舞踊・伝統スポーツ、E白象(カムケオ)などサイニャブリ県からの象のパレード)を開催した[1]。 2017年11月、ラオス初の植物園である「ファタケ植物園」をオランダ人リック・ガデラが開園した。外国人観光客が多く訪れているほか、研究が不十分なラオスの植物やその薬草などとしての利用を研究する拠点となっている[2][3]。
交通
空路
国際線については、タイのバンコク・チエンマイ・ベトナムのハノイ・カンボジアのシェムリアップ、中華人民共和国の広州・景洪・長沙との路線がルアンパバーン国際空港から運航している(2019年時点)。2020年3月には熊本までの路線が開設される予定であったが、延期となった。
国内線については、ヴィエンチャン・パークセーとの路線がルアンパバーン国際空港から運航している。
陸路
国道13号線によりヴィエンチャンやヴァンヴィエンなどのラオス各都市と、国道1号線によりサイ郡と接続している。
ヴィエンチャンと昆明を結ぶ中国ラオス鉄道のルアンパバーン駅が市内中心部より東に12km程の所に2021年12月3日に開業した。駅?市内間は定額のミニバンが運行している。
水路
メコン川での水路はタイ国境のフエイサイから通じている。
観光・産業