リーマン・ブラザーズ・ホールディングス
Lehman Brothers Holdings Inc.
本社があったタイムズスクエアビル
(破綻後、バークレイズが入居)
種類株式会社
市場情報NYSE LEH
リーマン・ブラザーズ証券株式会社
Lehman Brothers Japan INC.本社が入居していた六本木ヒルズ
種類株式会社
市場情報非上場
略称リーマン、LBJ
本社所在地 日本
〒106-6131
東京都港区六本木六丁目10番1号
六本木ヒルズ森タワー
北緯35度39分37.3秒 東経139度43分44.5秒 / 北緯35.660361度 東経139.729028度 / 35.660361; 139.729028
設立2006年12月16日
業種証券、商品先物取引業
法人番号4010001142992
代表者桂木 明夫(代表清算人)
資本金441億3,300万円
従業員数約1,300人
決算期3月31日
外部リンクhttps://lehmanbrothersjapan.com/
特記事項:2008年9月15日、金融庁より業務停止命令(9月26日まで)。9月16日、民事再生手続開始申立て。2008年11月29日に解散し、清算法人となる。2019年8月28日清算結了。
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ニューヨーク世界金融センタービル(2001年まで入居)
リーマン・ブラザーズ・ホールディングス(英: Lehman Brothers Holdings Inc.)は、かつて存在した大手投資銀行グループ。2018年時点も清算業務を行う法人が存続している。
ドイツ南部から移住したアシュケナジムユダヤ系移民、ヘンリー、エマニュエル、マイヤーのリーマン兄弟によって1850年に創立された。その後アメリカン・エキスプレスに身売りした後1994年に再独立、ハイリスクハイリターンであるサブプライムローンの証券化を推進し、米国住宅バブルの波に乗って米国第4位の規模を持つ巨大証券会社・名門投資銀行に成長する。
しかし、2000年代後半の住宅バブル崩壊により経営が急速に悪化し、2008年9月15日に連邦倒産法第11章(日本の民事再生法に相当)の適用を連邦裁判所に申請し倒産した。この倒産は世界金融危機顕在化の引き金となり、世界経済に多大な影響を与えることとなる(リーマン・ショック、後述)。倒産するまで格付け機関から信用格付けAAAを受け、世界の経済・金融で重要な存在であった。
Lehmanはドイツ語系の姓で発音は「レーマン」。英語では「レイマン」に近いが、世界的に「リーマン」と発音する人が多い[注 1]。 1844年、23歳のヘンリー・リーマン[1]はバイエルン王国のリムパーという町からアメリカに移民し[2]、南部アラバマ州のモンゴメリーでシーツ、シャツ、糸、綿ロープ、オスナバーグと呼ばれる粗布などの綿製品を扱う日用雑貨品店「Southern Domestics」を開いた[1][3]。 1850年代、綿花はアメリカで最も重要な作物の一つであり、アラバマ州では最も収入の多い商品作物であったため綿花生産が盛んだった。1860年の国勢調査
歴史
リーマン兄弟による創業
1847年、弟のエマニュエルが移民してきたために店名を「H. Lehman & Bro.」に変更する。1850年に末弟のメイヤー・リーマンが加わり「Lehman Brothers(リーマン・ブラザーズ)」(リーマン兄弟商店)となった[3]
3兄弟は店の客である奴隷農園からの支払いで現金の代わりに綿花の現物を受け入れたことをきっかけに、綿花を買う工業者や輸出業者との仲介をする役割を担った綿花取引に経営の重点を移した。1855年に長兄ヘンリーが黄熱病で死去[6]。残ったエマニュエルとメイヤーが経営を引き継いだ[6][7]。
綿花取引の中心は、1858年までには南部からニューヨークへと移り、コットンファクターやコミッションハウスが拠点を置くようになったので、リーマンもニューヨークにも事務所を構えた[6][7][8]。
1862年、南北戦争で南部連合が敗戦したあと困難に直面したリーマンは、綿花商のジョン・ダーと組み、リーマン・ダー・アンド・カンパニーを設立し[9][10]、本部をニューヨークに移す[7]。1870年にはニューヨーク綿花取引所が開設され、リーマンもこれに協力、エマニュエルは同取引所の取締役を1884年まで務めた[7][11]。